移動は心境を変化させる
最近の私は、自宅で過ごす時間が多くなりました。
仕事を終えて帰宅すると、再び外へ出かけようという気持ちはあまり起こりません。もともと映画や本、インターネットを楽しむことが好きな性格でもありますし、猫の世話もあります。
在宅生活は私にとって窮屈なものではなく、むしろ自然な暮らし方になっています。
現代ではネット通販も発達し、多くのものを自宅に居ながら購入できるようになりました。以前であれば店まで足を運ばなければならなかった商品も、今では数回の操作で届けてもらえます。
移動には費用も時間もかかります。
車を利用すれば燃料代や駐車料金が必要になりますし、移動そのものにも体力を使います。
そう考えると、移動しないという選択には合理的な側面があります。
しかし、その一方で人間には移動そのものを求める感覚が残っているようにも思います。
私自身、夜中にCATVで放送される市内電車の前面展望映像や、見慣れた道路を走るドライブ映像を流しながら作業することがあります。
特別な物語があるわけではありません。
ただ列車や車が進み続ける映像を眺めているだけです。
それでも不思議と飽きることがありません。
見慣れた町並みが流れ、交差点を曲がり、駅を通り過ぎていく。
自分は机の前に座ったままでありながら、どこかへ向かっているような感覚になります。
考えてみれば、移動とは必ずしも身体を動かすことだけを意味しないのかもしれません。
映画を観ることも、本を読むことも、映像を通して知らない土地や懐かしい風景に触れることも、一種の移動と言えるでしょう。
実際に出かけなくても、人は景色の変化を求めています。
それは新しい場所へ行きたいという欲求だけではなく、今いる場所から少し離れた視点を持ちたいという気持ちなのかもしれません。
第1回では、移動手段の選択が暮らし方を映していることを書きました。
第2回では、帰省という小さな旅の中で思考が整理されることを書きました。
第3回では、移動の途中で立ち寄るコンビニが気持ちを切り替える場所になっていることを書きました。
振り返ってみると、移動によって変化していたのは場所だけではありません。
暮らし方を見つめ直したり、考えを整理したり、気持ちを落ち着かせたりする。
人は移動を通して、自分自身の内面にも変化を与えているのです。
そして、その変化は実際に遠くへ出かける時だけに起こるものではありません。
映画の中の風景に触れた時も、列車の前面展望映像を眺めている時も、人は今いる場所とは少し違う世界へ意識を向けています。
移動しないことを選びながらも、人はどこかで移動を求めている。
それは場所を変えたいからではなく、自分の心境を少し変化させたいからなのかもしれません。
このシリーズを通して感じたのは、移動によって変わるのは距離ではなく、人の心境なのではないかということです。
人は移動することで景色を変え、考えを整理し、気持ちを切り替える。
そして時には、移動しないという選択の中でさえ、新たな景色を見つけているのかもしれません。
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