いつもの子が、今日は男前

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岐阜県下呂市門和佐にある白雲座歌舞伎の番組を見ていました。

地域の人たちが役者となり、大道具から裏方まで自分たちで担う地歌舞伎です。

こうした催しを見ていると、歌舞伎という古典芸能でありながら、どこか祭りに似たものを感じます。

劇場でプロの役者を見るのとは、少し違う。

舞台に立っているのは、普段なら町で見かける顔です。

ところが、その顔に歌舞伎の化粧を施し、衣装をまとって舞台に上がると、いつもの子供とはまるで違った表情を見せる。

男の子が凛々しい役で登場すれば、客席からは、

「今日は男前だな……」

そんな視線が向けられているように感じます。

娘が花魁姿で登場すれば、

「大分、大人びてきたな……」

と、芝居を見ながら、その子自身の成長を眺めている。

そこが、地歌舞伎の面白いところなのかもしれません。

客席の人たちは、単に役者を見ているわけではない。

舞台上では立派な役者になっていても、客席からすれば、いつもの町で見かける子供でもある。

昨日までランドセルを背負っていた子が、今日は花道を歩いている。

その姿を、親や祖父母だけでなく、地域の人たちみんなが見ている。

だからなのでしょう。

子供や孫が舞台に登場するたびに、客席からおひねりが飛んでくる。

上手かったからというより、

「よくやったな」

「大きくなったな」

「今日は立派だぞ」

そんな気持ちまで一緒に舞台へ投げているように見えるのです。

都会の劇場では、役者と観客は基本的に別の世界にいます。

けれど白雲座では、その境界が少し曖昧です。

役者も観客も、舞台を作る人も、それを見守る人も、同じ地域で暮らしている。

歌舞伎を演じているようでいて、実はそこには、その地域で暮らす人間の時間そのものが流れている。

歌舞伎化粧の下にあるのは、いつもの町の顔。

けれど、その顔が舞台に立った瞬間、客席からは別の顔が見えてくる。

そして客席の人たちは、その別の顔を眺めながら、

「いつの間にか、こんなに大きくなったんだな」

と、少し嬉しそうに笑っている。

古典芸能というと、どうしても「伝統を守る」という言葉が先に出てきます。

けれど白雲座のような地歌舞伎を見ていると、伝統とは案外、もっと人間臭いものなのかもしれません。

子供が舞台に立つ。

大人が裏方をする。

年寄りが客席から見守る。

そして、おひねりが飛んでくる。

そんなことを繰り返しながら、地域の時間が次の世代へ渡っていく。

舞台の上では歌舞伎が演じられている。

けれど客席では、別の芝居が静かに始まっているのかもしれません。


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