結局のところ、資源の話をしているようで、人間の話をしていた。
資源がない国だと、ずっと思っていた。
石油も出ない。天然ガスも乏しい。
だから海外から買うしかない。
そういう話で納得していたが、調べてみると少し違う。
日本の周辺には天然ガスの可能性があり、
植物から燃料を作る技術も研究されている。
つまり——
やろうと思えば、できなくはない。
ではなぜ、やらないのか。
「できる」と「やる」は別の話
日本近海に存在すると言われるメタンハイドレート。
水田で育てることも検討されたバイオ燃料。
どちらも技術的には成立している。
ただし問題は単純だ。
高すぎる。
海外の資源に比べてコストが跳ね上がる以上、
現実的な選択にはなりにくい。
結果として、海外から買った方が安い。
それだけの話である。
合理的な選択の裏側
安いものを選ぶ。
効率の良い方法を選ぶ。
それ自体は間違っていない。
むしろ正しい判断だろう。
だが、その積み重ねの先にあるものは何か。
「自分では何も作らない構造」だ。
気がつけば、
安い資源に依存し、
高いものは最初から諦める。
そんな思考が当たり前になっている。
燃料が減ると、人間は露骨になる
石油価格が上がっただけで、生活は一変する。
無駄を削る。
移動を減らす。
消費を抑える。
聞こえはいいが、実態はもう少し生々しい。
人間は単に、セコくなる。
少しでも安い方へ。
少しでも損をしない方へ。
理想や理念よりも、目先のコストが優先される。
それは国家でも同じだ。
持たない国の正体
日本は資源を持たない国だと言われる。
だが本当は違う。
「高すぎて使わない資源」を持っている国だ。
そして同時に、
「安いものに慣れすぎた国」でもある。
選択の結果として、今の形がある。
選んでいるのは誰か
国家の方針、企業の判断。
そういった大きな話に見えるが、
実際にはもっと単純だ。
私たち一人ひとりが、
「安い方」を選び続けた結果でもある。
燃料が高くなった時に慌てるのは、
その選択の積み重ねを、忘れているからかもしれない。
資源がないのではない。
使わないと決めているだけだ。
そしてその判断は、驚くほど人間的だ。
そして明日も、私たちは何も考えずに「安い方」を選ぶ。



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