先日、映画『ジャッキー・ブラウン』を流し見していた。
タランティーノ作品の中では比較的地味な作品で、若い頃に観たときは「犯罪映画」くらいの印象しか残っていなかった。
ところが今回、なぜか最後まで目が離せなかった。
理由はストーリーではない。
オープニングとラストで流れる『110番街交差点』だった。
同じ曲が流れているはずなのに、まるで別の曲のように聞こえたのである。
最初に流れるとき、その曲はどこか軽やかだった。
空港の動く歩道に乗るジャッキーの姿は、少し疲れてはいるものの、まだ何者でもない一人の女性に見える。
ところがラストになると違う。
私たちは既に彼女の選択を知っている。
何を失い、何を得たのかも知っている。
だから同じ曲が流れても、聞こえ方が変わる。
曲が変わったわけではない。
変わったのは、曲を聞いているこちらの方だった。
考えてみれば、人を見る時も同じなのかもしれない。
私たちは最初、見た目で判断する。
服装や体格、表情や立ち居振る舞い。
しかし時間を共有すると、その人の背景が見えてくる。
何を経験してきたのか。
どんな失敗をしてきたのか。
何を背負っているのか。
すると同じ表情でも、以前とは違って見えてくる。
『ジャッキー・ブラウン』には、いわゆるヒーローがいない。
登場するのは、年齢を重ねた客室乗務員や保釈保証人、中年の犯罪者たちばかりだ。
若い頃は地味な登場人物たちに見えた。
しかし今見ると、彼らはそれぞれ長い時間を背負っている。
だから派手なアクションよりも、一言の会話や沈黙の方が印象に残る。
特にラストは不思議だ。
ジャッキーは勝ったのかもしれない。
しかし完全なハッピーエンドにも見えない。
得たものもある。
失ったものもある。
その両方を抱えたまま前へ進んでいく。
人生というものは案外そういうものなのだろう。
若い頃に観た時には気付かなかった。
しかし年齢を重ねてから見ると、この映画は犯罪映画というより、人が積み重ねてきた時間を描いた映画のように思える。
そして『110番街交差点』は、その時間そのものを歌っているように聞こえた。
同じ曲なのに違って聞こえたのは、映画が変わったからではない。
おそらく私の方が変わったのである。
人はつい派手な人物や大きな出来事に目を奪われます。
けれど本当に印象に残るのは、静かに人生を選び取る人たちなのかもしれません。
『見た目の先にあるもの――人は何を信用しているのか』


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