昔、ラジオを聴いていた時のことだった。
あるCDショップの店長が、ライブイベントについてこんなことを言っていた。
「主催者などやるものではない。」
少し笑い混じりの口調だった。
しかし妙に印象に残っている。
当時の私は、
「そこまで大変なのだろうか?」
くらいにしか思っていなかった。
ライブ主催者と聞いても、どこか華やかなイメージの方が強かったからである。
人気アーティストを呼び、人を集め、盛り上がる。
外から見れば楽しそうな仕事に見える。
だが最近、学園祭の実行委員会や地域イベントの裏側を調べているうちに、その言葉の意味が少し分かるようになってきた。
主催者は「成功」を保証できない
ライブというのは、不思議なイベントである。
開催するまでは、成功するかどうかが分からない。
チケットが売れる保証はない。
天候が崩れるかもしれない。
出演者トラブルが起きる可能性もある。
しかし、それでも主催者は会場を押さえ、宣伝を行い、人を集めなければならない。
しかも費用は先に発生する。
- 会場費
- 音響設備
- 照明
- スタッフ
- 警備
- 出演料
- 広告費
ライブというのは、始まる前から大量のコストが動いているのである。
観客から見えるのは、当日のステージだけだ。
しかし裏側では、
「赤字にならないだろうか」
という不安を抱えながら準備が進んでいる。
成功しても「当たり前」
さらに厄介なのは、イベントというものは成功しても当たり前に思われやすいことだ。
ライブが盛り上がれば、
「楽しかった」
で終わる。
だが、トラブルが起きれば話は別である。
- 入場混乱
- 音響事故
- チケット問題
- クレーム
- 警備トラブル
こうした問題が起きた時、最初に責任を問われるのは主催者側だ。
つまり主催者は、
「何も起きない状態」
を作るために動いている。
観客が安心して楽しめるということは、裏側で大量の調整が成功しているということでもある。
学園祭の実行委員会も似ている
最近、大学の学園祭実行委員会について調べる機会があった。
そこでも、人気芸人を呼ぶ企画などが行われていた。
観客から見れば数十分のステージだ。
しかし裏側では、
- 出演交渉
- タイムスケジュール
- 会場管理
- チケット確認
- 警備
- 赤字対策
など、多くの準備が行われている。
学生イベントとはいえ、やっていることは小さなライブ主催に近い。
そして規模が大きくなればなるほど、責任も増えていく。
「目立つ人」より「支える人」
ライブというと、多くの人はステージ上を見る。
アーティスト。
芸人。
司会者。
しかし実際には、その後ろに大量の裏方が存在している。
- 音響スタッフ
- 照明
- 受付
- 警備
- 誘導
- 制作
- 協賛
イベントは、目立つ人だけでは成立しない。
むしろ、
「問題が起きないよう支える人」
によって成り立っている。
この構造は、会社や映画制作、さらには政治にも少し似ている気がする。
なぜそこまでしてイベントを開くのか
それでも、人はライブを開く。
赤字リスクもある。
責任も重い。
準備も大変である。
それなのに、なぜ人はイベントを主催するのだろうか。
おそらくそこには、
「人が集まる瞬間を作りたい」
という感覚があるのだと思う。
ライブ会場には、普段の日常とは違う熱気がある。
観客が歓声を上げ、空気が一つになる。
あの非日常感は、確かに特別なものだ。
だからこそ、多くの苦労を抱えながらも、イベントは毎年続いていく。
「主催者などやるものではない」の意味
今になって思う。
あの店長の言葉は、単なる愚痴ではなかったのかもしれない。
主催者は、表に立つ人間ではない。
むしろ、
「問題が起きないこと」
を背負い続ける立場である。
観客が気持ちよく楽しめるほど、裏側では多くの調整が成功している。
だから主催者の仕事は、成功しても目立たない。
それでも誰かがやらなければ、祭りもライブも成立しない。
そう考えると、
「主催者などやるものではない。」
という言葉の裏には、
責任を知っている人間特有の重みがあったのかもしれない。



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