さとのか4Kで『おまつりニッポン』を流し見していると、新潟県十日町雪まつりの映像が流れてきた。
雪国らしく、会場には巨大な雪像が並んでいる。
その中には、漫画やアニメのキャラクターを題材にしたものもある。
ここで、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「これって、キャラクターの使用許可はどうなっているんだろう?」
雪で作った巨大なキャラクター像である。
しかもテレビ番組で全国に放送されている。
普段なら「おお、よく出来ているな」で終わるところだが、ブログのネタを探している身としては、こういうところで余計なことを考え始める。
どうやら問題になるのは、いわゆる肖像権というより著作権のようだ。
漫画やアニメのキャラクターを具体的な姿のまま立体化するとなれば、原作者や作品の権利者との関係が出てくる。
そこでさらに考えた。
「じゃあ、ドラえもんだったら誰に許可を取るんだ?」
ドラえもんの作者は二人……だった?
ここで私の頭の中に、昔の「藤子不二雄」という名前が出てきた。
藤子不二雄といえば、藤本弘先生と安孫子素雄先生による二人組。
ところが現在の『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄先生の作品として扱われている。
二人のコンビは後に解消され、藤本先生は「藤子・F・不二雄」、安孫子先生は「藤子不二雄Ⓐ」として、それぞれ別の道を歩んだ。
つまり、
「ドラえもんを使いたいので、藤子不二雄Ⓐ先生にも許可を取らなければならない」
という話ではない。
ここで私は少し安心した。
しかし、安心したところで別の疑問が出てくる。
現在のドラえもんのライセンスは、原作者本人が企業から電話を受けて、
「どうぞ、使ってください」
と一件ずつ返事をしているわけではない。
権利を管理する会社やライセンス窓口が存在する。
なるほど。
ドラえもんも、私が想像していた以上に社会人だった。
企業のイメージキャラクターにもなるドラえもん
ドラえもんは企業広告にも登場する。
建設会社の広告にドラえもんが登場している例まである。
これを見ていると、ドラえもんは単なる「子供向け漫画の主人公」ではない。
企業のイメージキャラクターとして働き、商品やサービスの広告にも出演し、イベントにも顔を出す。
つまり、かなり忙しい。
のび太の面倒を見ながら、企業案件までこなしている。
しかも本人は「出演料はいくらですか?」などとは言わない。
そこは周囲の大人たちが全部やってくれる。
ドラえもん本人は、いつものようにポケットから道具を取り出しているだけである。
四次元ポケットの中身が少し怖くなってきた
ここまで考えると、四次元ポケットの中身が少し違って見えてくる。
「どこでもドア」
「タイムマシン」
「もしもボックス」
「ほんやくコンニャク」
そして、もしかすると一番奥のほうに、
「ライセンス契約書」
が入っているのではないか。
企業から、
「ドラえもんを広告に使いたいのですが……」
と連絡が来たら、
「はい、こちらの契約書にどうぞ」
とポケットから書類を出す。
使用期間。
使用媒体。
使用範囲。
商品化。
広告利用。
いろいろ細かく書いてある。
もはや未来の便利道具ではなく、現代社会の契約業務である。
雪像のドラえもんを見て、余計なことを考える
雪まつりの巨大なドラえもんを見て、
「かわいいな」
で終わればいいものを、
「これ、誰が許可を取ったんだ?」
と考え始める。
さらに、
「雪像を作る許可と、それをテレビで放送することは同じなのか?」
などと考えてしまう。
こうなると、もう祭りを純粋に楽しんでいるのか、権利関係を眺めているのか分からない。
雪像を作る人たちは雪を削っている。
テレビ局はカメラを回している。
権利者は権利を管理している。
そしてドラえもんは、何も知らない顔で雪の上に立っている。
いや。
本当は全部知っているのかもしれない。
なにしろ、あの四次元ポケットを持っている。
ドラえもんは、案外したたかである
子供の頃に見ていたドラえもんは、のび太に道具を貸してくれる不思議な猫型ロボットだった。
しかし大人になってから見ると、少し違って見えてくる。
漫画のキャラクターとして長年生き残り、テレビに出演し、映画にも出て、企業広告にも登場する。
雪まつりでは巨大な雪像にもなる。
その裏側では、多くの人間が権利を管理している。
そう考えると、ドラえもんは意外としたたかな業務をこなしている。
ポケットから何でも出せるだけではない。
人間社会の中で、自分のキャラクターをきちんと管理している。
そう考えると、あの丸い顔の奥に少し違ったものが見えてくる。
ひょっとすると、あのポケットの中には、
「どこでもドア」より先に契約書が入っているのかもしれない。
そして最後に、こう思う。
「ドラえもん、案外腹黒いな……」
もちろん、ドラえもんにそんなつもりがあるわけではない。
全部こちらの勝手な想像である。
しかし、こういう余計なことを考えながら祭りを見るのも、流し見の面白さなのだと思う。



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