『鬼平外伝 老盗流転』──老犬は、街道で振り返らない

その他の雑記

時代劇専門チャンネルで『鬼平外伝 老盗流転』を流し見していた。

若い頃、盗賊として生きていた二人の男がいる。

ところが仲間に命を狙われ、二人は逃げることになった。

そのとき二人が交わした約束は、

「今後は赤の他人。再会しても知らない者同士……」

というものだった。

それから35年。

二人は別々の人生を歩んでいた。

一人は盗賊の世界から足を洗い、御店の主人となっている。

もう一人は女郎屋の主人となり、表向きは堅気の商売をしながら、裏では殺しを請け負う仲介役をしていた。

そんな二人が、ひょんなことから再会する。

互いの素性を明かさないまま酒を酌み交わす二人。

35年も経てば、昔の仲間など過去の人間になっていてもおかしくない。

ところが、酒を飲みながら交わされる言葉の端々に、昔の世界の匂いが戻ってくる。

やがて仲介役の男が、

「井筒屋の主人徳兵衛を殺してくれと頼まれている……」

と話したことで、二人の人生が再び交差し始める。

今の暮らしに空いた穴

井筒屋主人は、すでに堅気として十分な暮らしを手に入れている。

長い年月をかけて店を築き、今の立場を守ってきた。

それでも、後添えにこんなことを漏らす。

「こうして年を重ねて今の暮らしを送れるようになったが、その分、自分の中にぽっかりと穴が空いたような虚しさがある……」

この言葉が妙に残った。

今の暮らしが不幸なのではない。

むしろ、若い頃には手に入らなかった安定した生活を手に入れている。

それなのに、何かが足りない。

もしかすると、その穴の中にいるのは、35年前に置いてきた「昔の自分」なのかもしれない。

盗賊だった頃には、明日どうなるか分からない緊張があった。

人を疑い、相手の腹を探り、危険を感じればすぐに動く。

命そのものが剥き出しになった世界だった。

そこから抜け出して、人間らしい暮らしを手に入れた。

しかし、その代わりに自分の中の何かまで置いてきてしまった。

そんな感じがする。

眠っていた獣

夜更けの道を歩く井筒屋主人は、何かがおかしいと感じ取る。

そこで番頭と羽織を交換する。

そして辻斬りに遭ったのは主人ではなく、すり替わった番頭だった。

堅気になって35年。

それでも身体の奥には、昔の盗賊として身につけた勘が残っていた。

危険を嗅ぎ取る。

相手の動きを読む。

自分の命を守る。

長い年月をかけて堅気の主人になったとしても、昔の自分が完全に消えたわけではなかった。

ただ、眠っていただけなのだろう。

人間の中には、そういう「獣」のようなものがいるのかもしれない。

若い頃にはむき出しだったものを、歳を重ねることで隠す術を覚える。

店を持ち、信用を築き、人の前では穏やかに振る舞う。

しかし危険が迫れば、眠っていたものが目を覚ます。

そして、その感覚を懐かしいと思ってしまう自分もいる。

後添えにも過去がある

主人を殺そうとしていた後添えにも、過去があった。

当初は財産目当てだった。

昔の男と結託し、井筒屋を殺して御店に居座ろうとしていた。

ところが夜更けの主人から、ただの商人ではない何かを感じ取る。

自分と同じ世界にいた人間の匂い。

そこに触れたことで、彼女自身の中に眠っていたものまで動き始めたのかもしれない。

彼女はやがて、結託した男に暗殺を止めることを告げに行く。

しかし、逆上した男に殺されてしまう。

そして、その場に現れた仲介役の男が男を返り討ちにする。

殺しを仲介していた男が、最後には昔の仲間を救うことになった。

皮肉な話である。

仕事としてなら、井筒屋を殺す側だった。

それでも、最後には昔の仲間を見捨てることができなかった。

二人とも、現在の立場よりも、昔から続く何かを選んでしまった。

守るものが増えるほど、人は臆病になる

歳を取れば、普通は守るものが増える。

店。

財産。

信用。

今の暮らし。

若い頃なら失っても構わなかったものが、歳月を重ねるほど惜しくなってくる。

だから人は臆病になる。

ところが、この二人には少し違うところがある。

今の暮らしを簡単に手放してしまう。

まるで、御店の主人という立場も、女郎屋の主人という立場も、本当の自分ではないと知っているかのようだ。

長い人生をかけて身につけたものなのに、それを捨てることを厭わない。

彼らにとって、それらはただの飾りだったのかもしれない。

本当に身体に染みついているものは、もっと別のところにある。

危険を感じれば動く。

仲間が危うくなれば助ける。

必要なら自分の身を投げ出す。

それは善悪というより、かつてそういう世界で生きてきた人間の流儀なのだろう。

老いた獣は、まだ死んでいない

この二人を見ていると、人は歳を取れば丸くなるのではなく、獣を飼い慣らす術を覚えるだけなのかもしれないと思う。

若い頃は、獣そのものだった。

歳を重ねるにつれ、その上に人間らしい暮らしを重ねていく。

けれど獣そのものが死んだわけではない。

ただ眠っている。

そして昔の仲間と再会したことで、その獣が目を覚ました。

35年ぶりに酒を酌み交わした二人にとって、あの時間は懐かしかったのだろう。

危うい世界に戻りたいわけではない。

それでも、そこにいた頃の自分を思い出す。

今の暮らしの中に感じていた「ぽっかりとした穴」が、一晩だけ埋まったのかもしれない。

最後の街道

事件の末、二人の過去は明るみに出る。

お上の手も回り始める。

昔を捨てて35年生きてきた二人が、再会したことで、昔の自分まで見つかってしまった。

それでも最後に二人は、もう一度だけ約束を守る。

街道で、互いにすれ違う。

目を合わせない。

目配せもしない。

言葉も交わさない。

それだけで分かる。

「知らない者同士」という、35年前の掟を最後まで守ったのだ。

けれど、こちらには分かっている。

あの二人は知らない者同士ではない。

35年ぶりに再会して、酒を酌み交わし、互いのために命を張った昔の仲間だ。

だからこそ、最後まで目を合わせない。

それが二人なりの情だったのかもしれない。

老犬が街道ですれ違う。

互いの匂いを知っている。

相手が誰なのかも分かっている。

それでも振り返らない。

もう二度と会うことはない。

それでいい。

35年という歳月を生きた二人にとって、あの一夜だけで十分だったのだろう。

人は歳を取るほど、今の暮らしを守ろうとする。

けれど、彼らの中には最後まで消えなかったものがあった。

それは悪事を働きたいという欲望ではなく、かつて命を張って生きていた頃の、自分自身だったのかもしれない。

老いた獣は、死んだわけではなかった。

ただ、長いこと眠っていた。

そして目を覚ました獣は、最後に昔の仲間を救い、また静かに眠る。

街道の向こうへ、それぞれの道を歩きながら。


次の記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました