『蛇拳』が教えてくれた、自分だけの「型」の見つけ方

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先日、ムービープラスで『スネーキーモンキー 蛇拳』を何気なく流し見していた。

軽い気持ちで見始めた映画だったが、一つの場面が妙に心に残った。

主人公は、飼い猫の動きをじっと観察している。

猫は相手との間合いを測り、低く身を沈めたかと思えば、一瞬で飛び込み、しなやかに身をかわす。その自然な動きには無駄がなく、生き抜くために磨かれてきた美しさがあった。

主人公は、その姿をただ真似しようとしたのではない。

何度も試し、失敗を繰り返しながら、自分の体に合う動きへと変えていく。そして最後には、誰にも真似のできない、自分だけの拳法を生み出していく。

その姿を見ているうちに、「人の生き方も同じなのかもしれない」と思った。

世の中には、さまざまな「型」がある。

学校には学校の教え方があり、会社には会社の進め方がある。

仕事を始めれば、先輩に教わり、手順を覚え、決められた流れを何度も繰り返す。それは武道でいう「型」を学ぶ時間なのだろう。

基本を身につけることは、とても大切だ。

土台がなければ応用は生まれず、経験がなければ工夫もできない。

だから最初は、素直に教わることが何よりも重要なのだと思う。

しかし、現実の仕事は練習通りには進まない。

相手も違えば、その日の状況も違う。

同じ仕事であっても、忙しさや周囲との連携によって、求められる動きは少しずつ変化していく。

そんな現場では、覚えたことをそのまま繰り返すだけでは足りない。

目の前の状況を見極め、自分に合った動きを選び、より効率よく仕事を進めるための工夫が必要になる。

私は、仕事を身につけるとは、教えられたことを自分の中で消化し、自分らしい動きへと育てていくことではないかと思っている。

知識や技術は借りることができる。

しかし、それを本当に自分のものにできるかどうかは、自分自身の試行錯誤にかかっている。

会社で働いていると、そんなことを考える場面が少なくない。

私は会社員として働きながら、休日には実家の農作業を手伝うこともある。

朝から時間に追われて仕事をする日もあれば、畑で土に触れ、季節の移り変わりを感じる日もある。

その合間には映画を見たり、本を読んだり、こうして文章を書いたりもする。

会社員という肩書だけでは、私の暮らしは語れない。

だからこそ、一つの枠組みだけで物事を考えることに、どこか息苦しさを覚えるのかもしれない。

もちろん、会社という組織にはルールもマニュアルも必要である。

多くの人が同じ方向を向いて仕事を進めるためには欠かせないものだ。

私が疑問を感じるのは、型そのものではない。

型だけが正解になってしまうことだ。

教えられた通りに動くことが目的になれば、自分で考える機会は少しずつ失われていく。

けれど、本来の型とは、考えなくても済むようにするためのものではなく、自分で考えられるようになるための土台なのではないだろうか。

畑で汗を流す時間。

猫たちの何気ない仕草を眺める時間。

一本の映画に足を止める時間。

一見すると仕事とは無関係に思える時間が、不思議と仕事の考え方や文章を書く力につながっている。

暮らしのすべてが、少しずつ自分という人間を育てているのだ。

『蛇拳』の主人公は、猫の動きを見て終わらなかった。

観察し、試し、失敗し、自分だけの動きへと磨き上げた。

だからこそ、その拳法には説得力があった。

人もまた同じなのだと思う。

誰かの成功をそのまま真似しても、それはその人の人生でしかない。

学ぶことは大切だ。

基本を身につけることも大切だ。

しかし、本当に大切なのは、学んだことを自分の暮らしの中で育て、自分らしい形へと変えていくことなのだろう。

人は仕事だけで生きているわけではない。

毎日の暮らしの中で出会う人、畑で流す汗、猫たちの姿、何気なく見た一本の映画──そのすべてが、自分だけの生き方を少しずつ形づくっていく。

自分だけの「型」は、特別な場所で見つかるものではない。

今日という一日をどう生きたか、その積み重ねの中で静かに育っていくものなのだと思う。


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一本の映画から生き方を考える日もあれば、一冊の本や畑の土、猫たちの何気ない仕草から人生を教えられる日もあります。

私が書いてきた記事は、どれも特別な出来事ではなく、日々の暮らしの中で見つけた「自分だけの型」の記録です。

もし興味があれば、こちらの記事ものぞいてみてください。

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