「お先に失礼します。」
仕事を終えて職場を後にするとき、多くの人が当たり前のように口にする言葉である。
しかし、改めて考えてみると少し不思議でもある。
時間になったから帰るだけなのに、私たちはなぜ「失礼します」と言うのだろう。
いったい誰に対して失礼なのだろうか。
辞書的に考えれば、「礼を欠くことを詫びる挨拶」と説明される。
確かに、相手の前を横切るときや部屋へ出入りするときにも「失礼します」は使われる。
けれど、「お先に失礼します」は、それだけでは説明しきれない。
残って仕事を続ける人に対してだろうか。
上司に対してだろうか。
会社という組織に対してだろうか。
どれも間違いではないように思える。
しかし、そのどれか一つだけでもないように感じる。
日本では、仕事は一人だけで完結するものではなく、周囲との協力の上に成り立つという考え方が根付いている。
だから、自分だけ先に職場を離れることに対して、「お先に」という一言を添える。
そこには、「皆さんより先に失礼します」という遠慮や配慮が込められている。
一方で、残る人たちは「お疲れさまでした」と送り出す。
そこには責める気持ちはない。
むしろ、「今日はここまでで大丈夫ですよ」という安心感を返している。
このやり取りは、決まり文句のようでいて、お互いを気遣う小さな儀式なのかもしれない。
以前、「帰って来ます」という言葉について考えたことがあった。
また、「お疲れさま」や「よろしくお願いします」という言葉も、意味だけでは説明できない働きを持っていることを書いた。
どれも共通しているのは、情報を伝えることよりも、人間関係を円滑にすることに重きが置かれている点である。
「お先に失礼します」も、その一つなのだろう。
もちろん、海外では定時に帰ることを特別に詫びる必要がない文化もある。
だから、この言葉を直訳すると、「時間どおりに帰ることを謝っているのか」と不思議に思われることもある。
しかし、日本人が謝っているのは、仕事を終えることではない。
職場という共同体の流れから、一足先に抜けることへの気遣いなのである。
だから、この言葉に込められているのは罪悪感ではない。
「今日はここまでお世話になりました。」
「残る皆さん、どうぞよろしくお願いします。」
そんな言葉にならない思いが、一言の中に折り重なっている。
日本語は、ときに曖昧だと言われる。
だが、その曖昧さは、相手への配慮を言葉の中にそっと忍ばせる工夫でもある。
「お先に失礼します。」
私たちは今日も何気なくこの言葉を口にする。
けれど、本当に失礼している相手がいるわけではない。
失礼しているのは誰か一人ではなく、その場をともに過ごした時間そのものなのかもしれない。
だからこそ、その一言に対して「お疲れさま」という言葉が返ってくる。
日本人は、言葉を交わすことで仕事を終え、人とのつながりを静かに一区切りしているのである。
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「お先に失礼します」という一言も、実際には誰かへ謝っているというより、その場をともに過ごした人たちへの気遣いや配慮から生まれた言葉なのかもしれません。こうして見渡してみると、日本語には意味だけでは説明しきれない”余白”を持つ言葉が数多くあります。次は、そんな言葉から少し視点を広げ、日本人が言葉に託してきた思いや文化について、別の角度から考えてみたいと思います。



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