深夜に『十三人の刺客』を流し見しながら、いつものようにブログ作業をしていた。
映画の中では、暴君を討つために宿場町そのものを巨大な罠へと作り替えていく。敵の進路を読み、地形を利用し、綿密な計画を立てる。その様子を眺めながら、ふと地元のダム建設のことを思い出した。
地元では山鳥坂ダムの建設が進められている。
ダムの話を聞くたびに不思議に思うことがある。
洪水対策として様々な工事が行われてきたが、大きな災害が起きるたびに、さらに上流へ、さらに規模の大きな対策へと話が進んでいくように見えるのだ。
もちろん、当時の技術や予算、社会状況を考えれば簡単な話ではない。
しかし後から振り返ると、
「最初からもっと大きな計画を立てていれば違ったのではないか」
と思うこともある。
もっとも、それは結果を知っている現代人だから言えることなのかもしれない。
ヒストリーチャンネルで放送されていた、人類が消えた後の世界を描く番組を思い出す。
人間がいなくなれば、橋は朽ち、道路はひび割れ、森が街を飲み込んでいく。
建物がどのくらいで崩壊するのか。
ダムがどのように変化していくのか。
そうしたことは意外と予測できるらしい。
自然には一定の法則があるからだ。
しかし、予測できないものもある。
それが人間である。
歴史上の戦を見てもそうだ。
どれほど完璧な計画を立てても、裏切りや離反によってすべてが崩れることがある。
逆に不利な状況でも、人の覚悟や偶然の判断によって勝敗が覆ることもある。
計画そのものが失敗したのではない。
人間が計画通りに動かなかったのである。
ダム建設も似ているのかもしれない。
設計図は描ける。
工法も計算できる。
雨量もある程度予測できる。
だが、その計画をどう受け止めるのかは人によって違う。
賛成する人もいれば反対する人もいる。
途中で考えが変わる人もいる。
そこには数字だけでは表せない暮らしや感情がある。
考えてみれば、歴史とは予測どおりに進んだ出来事の記録ではない。
未来を見通そうとした人々と、その予測を裏切った人々の記録なのだと思う。
構造物の寿命は予測できる。
自然の変化もある程度は予測できる。
しかし人間の心理だけは、今も昔も簡単には予測できない。
『十三人の刺客』を見ながら、そんな当たり前のことを改めて考えていた。
あわせて読みたい
『パール』の笑顔が怖い理由――地方FMと会社組織に見えた“演じる人格”の正体
理想論の外側で鳴っていた音 ― 『GOLD FISH』を観て思い出したこと
笑いと異常性は紙一重 ― 『マラヴィータ』から考える人間の感覚



コメント