A24の映画『パール』を半分流し見のように観ていた。
ホラー映画として観ることも出来る作品だが、最後の笑顔だけが妙に頭に残った。
観終わったあとに記憶に残っていたのは、殺人描写よりも“笑顔”だった。
最後の引き攣ったような笑顔。
あれは喜びなのか、絶望なのか、それとも発狂なのか。
感情が曖昧なのに、表情だけは「笑顔」を維持し続けている。
そこに、この映画特有の不気味さがある。
『パール』は「演じ続ける人間」の映画でもある
『パール』の主人公は、ただの猟奇的な人物ではない。
彼女は常に「スターになりたい自分」を演じている。
農場での生活。 戦争。 家族介護。 閉塞感。 地方から抜け出せない現実。
その中で彼女は、映画のヒロインのように振る舞おうとする。
だからこそ怖い。
人間として壊れていく過程よりも、“壊れながらなお演技を続けている”ことが不気味なのだ。
あのラストシーンの笑顔も、幸福というより「こういう場面では笑うべき」という演技に近い。
顔面だけが社会性を維持している。
そこに妙なリアリティがある。
地方タレントに感じる違和感
この映画を観ていて、なぜか地方タレントを思い出した。
特に地方FM局のパーソナリティなどに時々感じる、あの独特の“演出感”のようなものだ。
常に明るい。
リアクションが大きい。
親しみやすい。
地元愛を語る。
空気を盛り上げる。
もちろん仕事なのだから当然ではある。
しかし時々、こちらが会話を聞いている最中に、感情より先に「演出意図」のようなものが見えてしまうことがある。
以前、大型商業施設の中に設置された地方FM局のブースで、放送外のパーソナリティを見かけたことがある。
オンエア中とは別人のように、誰にも視線を向けず、黙々と時間を過ごしていた。
別に態度が悪いわけではない。
むしろ普通なのだ。
しかし、放送中の人格との差があまりにも大きく、その瞬間に「演じる人格」というものを妙に意識した。
人はどこまで“役割”を演じているのか
地方タレントだけではない。
会社の上役にも、似たような空気を感じることがある。
管理職になるほど、
・威厳 ・余裕 ・指導者らしさ ・ポジティブさ ・会社への忠誠
を演出する必要が出てくる。
日本の会社では特に、「管理職らしく見えること」自体が仕事になりやすい。
そのため、人によっては次第に、
本人 役職人格 社会的演技
の境界が曖昧になっていく。
こちらから見ると、
「この人は本当に自分の言葉で喋っているのか?」
という感覚になることがある。
もちろん、それは必ずしも悪意ではない。
むしろ組織を回すために必要な演技でもある。
上からの理不尽を理解しながら、下も守らなければならない。
数字も追わなければならない。
部下の不満も受け止める。
その中で、人は“役割としての人格”を形成していく。
中間層の人間は「分かっていながら従う」
社会で最も多いのは、完全な反抗者でも、完全な服従者でもない。
「おかしい」と分かりながら、それでも適応している人間だ。
中間層の人間は、理不尽を理解している。
しかし同時に、生活もある。
完全に逆らうことも出来ない。
だから、
・空気を読む ・演技する ・妥協する ・笑顔を作る ・建前を維持する
ことになる。
そこには良い面も悪い面もある。
組織を維持する力にもなる。
しかし同時に、人間を疲弊させる原因にもなる。
『パール』の怖さは、実はそこに近いのかもしれない。
彼女は壊れている。
しかし最後まで「笑顔」を維持しようとする。
壊れてもなお、“主人公らしく”あろうとする。
だから観客は、恐怖と同時に、どこか滑稽さも感じる。
SNS時代は誰もが半分タレント化している
今の時代は特に、この「演じる人格」が増幅されやすい。
SNSでは、誰もが半分タレントのように振る舞う。
日常を演出し、感情を発信し、キャラクターを作る。
本来なら芸能界だけにあった“見られる人格”が、一般人レベルにまで降りてきた。
だから『パール』は1920年代の話なのに、妙に現代的に感じる。
承認されたい。
特別でありたい。
見られたい。
選ばれたい。
その欲望自体は昔から存在していた。
ただ、現代はそれを常時発信できる環境になった。
そして人は、演じ続ける。
時には自分でも、本音と演技の境界が分からなくなるほどに。
最後の笑顔が怖い理由
『パール』のラストシーンが不気味なのは、狂気そのものではない。
むしろ、
「壊れてもなお社会的な顔を維持しようとすること」
にある。
笑顔なのに苦しそう。
泣いているのに笑っている。
幸せそうなのに絶望している。
その感情の曖昧さが、人間の“演じる本能”をむき出しにしている。
もしかすると現代人は、多かれ少なかれ、あの笑顔を持っているのかもしれない。
会社で。
SNSで。
地域社会で。
誰かに見られながら生きる以上、人は完全に「素」のままではいられない。
『パール』は、その不気味な現実を、ホラー映画の形で映していたのだと思う。
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