情報を集めるほど、雑談に戻っていく

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チャンネルNECOで『アンダーニンジャ』を流し見しながらブログ作業をしていた。

アニメの実写化には少なからず抵抗がある。原作とは別物として観るようにしているが、それでも比較してしまうことはある。それでも『アンダーニンジャ』は、ラストこそ異なるものの、それなりに楽しめた作品だった。

作品の中では戦闘よりも情報戦が印象に残った。

忍者といえば暗殺者のような印象を持たれがちだが、実際には情報収集や潜入が主な仕事だったとも言われている。敵の城の構造や兵力、補給状況などを調べ、主君へ伝える。派手な戦いよりも、見えない場所で情報を集めることが重要だった。

そう考えると、現代社会も案外似ている。

企業も政治もSNSも、情報を持つ者が有利になる。誰もが情報収集を行い、その情報を基に判断している。

私自身も記事を書くために様々なことを調べる。

映画を観れば、その背景を調べる。 歴史に触れれば、その時代を調べる。 社会問題に興味を持てば、関連する資料を読み漁る。

ところが不思議なことに、調べれば調べるほど最初に何を知りたかったのか分からなくなることがある。

一つの情報から枝分かれし、また別の情報へ移る。その繰り返しで気づけば本題から離れている。

そして最後には、こうして雑談のような話へ戻ってくる。

戦国時代の忍者が命がけで集めた情報も、最終的には主君の判断材料になるためのものだったはずだ。情報そのものが目的ではなく、何を決めるかが目的だった。

現代は当時とは比べものにならないほど多くの情報に囲まれている。しかし情報量が増えたからといって、判断が簡単になったわけではない。

むしろ情報が多すぎるからこそ、人は最後に自分の実感へ戻ってくるのかもしれない。

私の場合、その着地点が雑談なのだろう。

忍者の話から始まったはずなのに、気づけば情報との付き合い方を考えている。そんな回り道も、ブログを書く楽しみの一つなのだと思う。


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