夏祭りや花火大会の季節になると、街の空気が少し変わる。
スーパーには浴衣姿の若者が現れ、道路には交通規制の看板が立ち始める。
夕方になると、どこか落ち着かないような雰囲気が漂う。
祭りには独特の高揚感がある。
何かが起こりそうな感覚。
普段とは違う空気。
人の熱気。
ざわめき。
あれは単なるイベントではなく、日常が少しだけ別の姿に変わる時間なのだと思う。
ただ、私はそこまで熱心な祭り好きではない。
早朝から場所取りをして神輿を見に行くわけでもない。
蒸し暑い人混みを何時間も歩き回る体力も、そこまで残ってはいない。
それでも毎年、祭りの季節になるとCATVをつける。
クーラーの効いた部屋。
猫にはチュール。
私は缶ビール。
そして画面の向こうでは、神輿がぶつかり合い、花火が打ち上がり、大勢の人間が熱狂している。
我ながら、かなりオタク的な祭りの楽しみ方だと思う。
現地へ行かなくても祭りは見える
例えば、愛媛の秋祭りには神輿の鉢合わせで知られる地域がある。
神輿同士を激しくぶつけ合うため、怪我人が出ることも珍しくない。
危険を伴う祭りだ。
それでも毎年、多くの観光客が訪れる。
なぜ人はそこまで祭りに惹かれるのだろうか。
おそらく、祭りには単なる娯楽以上のものがある。
屋台や花火だけではない。
「何かが起こりそうだ」という感覚。
秩序と熱狂が入り混じる空気。
普段は静かな道路が封鎖され、人々が集まり、大声を上げる。
日常が少しだけ崩れる。
その非日常感が、人を惹きつけるのだと思う。
そして、それは画面越しでも十分伝わってくる。
三津浜花火大会を家で見るという選択
花火大会も同じだ。
例えば 三津浜花火大会 のような大規模な花火大会になると、
- 駐車場探し
- 大渋滞
- 蒸し暑さ
- 帰りの混雑
なども覚悟しなければならない。
もちろん現地には現地の迫力がある。
しかし、CATVの中継にも別の贅沢がある。
カメラは最も見やすい位置に固定されている。
視界を遮る人もいない。
汗だくになる必要もない。
こちらはクーラーの効いた部屋で、缶ビールを飲みながら猫と一緒に花火を眺めている。
祭りの熱狂とは、かなり温度差のある光景だ。
祭りを支える人たち
最近になって、祭りを見る目が少し変わった。
以前は、
「賑やかだな」
「人が多いな」
程度にしか思っていなかった。
しかし学園祭の実行委員会や、ライブ主催者の話を調べていくうちに、祭りの裏側には多くの人間が関わっていることを知った。
- 実行委員会
- 警備会社
- 消防
- 警察
- 協賛企業
- 出店者
祭りは、ただ自然発生的に存在しているわけではない。
誰かが予算を集め、誰かが交通整理を考え、誰かが事故が起きないよう準備している。
特に神輿の鉢合わせのような危険を伴う祭りでは、その責任はさらに重くなる。
観客は非日常を楽しむ。
しかし裏側では、その非日常が危険な方向へ暴走しないよう、多くの人が支えている。
「主催者などやるものではない」
以前、ライブを主催していたCDショップの店長が、ラジオでこんなことを言っていた。
「主催者などやるものではない。」
当時は冗談半分に聞いていた。
しかし今なら、少し意味が分かる気がする。
祭りやイベントは成功すれば当たり前だと思われる。
だが、事故や混乱が起きれば、最初に責任を問われるのは運営側だ。
観客から見えるのは、花火や神輿や芸人だけである。
しかし、その背後では目立たない人たちが祭りを成立させている。
祭りとの距離感
それでも私は、今年もたぶん現地へは行かない。
CATVをつけ、クーラーの効いた部屋で猫と一緒に祭りを見る。
人混みもない。
帰りの渋滞もない。
静かな部屋で、遠くの熱狂を眺める。
少し情緒のない楽しみ方かもしれない。
だが、祭りとの距離感は人それぞれなのだと思う。
そして、少し離れた場所から眺めているからこそ見えてくるものもある。
祭りの華やかさの裏で、誰が支え、誰が責任を負い、誰が秩序を保っているのか。
そんなことを考えながら見る花火も、これはこれで悪くないのである。



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