人は年齢を重ねると、自分に似合うものを探し始める。
私も例外ではなかった。
映画に登場するギャングや刑事たちのように、クラシックなスーツを着こなし、自分なりのスタイルを持ちたい。
そんなことを考えていた時期がある。
ズートスーツに憧れ、実際に仕立てたこともあった。
ところが現実は甘くない。
映画の中では粋に見えたスーツも、私が着ると、どこか昔のモノクロ時代の鉄人28号のようになってしまう。
服は悪くない。
単に、着る人間を間違えただけだった。
以来、「似合う」と「憧れる」は別物なのだと知った。
そんなある日、スーパーの子供服売り場を歩いていると、一着のパンツが目に留まった。
ストライプ柄のクラシックなパンツ。
「出で立ちだけなら洒落てるのになぁ……」
思わず独り言が漏れた。
すると隣にいた同居人が、間髪入れずに言った。
「それ、着られるよ。絶対。」
私は笑って聞き流そうとした。
子供服である。
大人が履けるわけがない。
ところが同居人は、そのままパンツを持ってレジへ向かってしまった。
半信半疑のまま家へ帰り、試しに履いてみる。
……普通に履けた。
いや、普通どころか、驚くほどしっくりきた。
今では、そのパンツは私のお出かけ用である。
人生とは分からないものだ。
高価なスーツは、クリーニングや保管を気にして出番が減る。
一方で、何気なく買った子供服は気軽に履けて、一番活躍している。
人は「大人用」「子供用」という札を見て判断する。
しかし、服はラベルを気にしない。
似合う人が着れば、それが正解なのだ。
考えてみれば、人も同じかもしれない。
「大人らしい。」 「年相応。」 「こうあるべき。」
そんな肩書きばかりを気にしている。
けれど、本当にその人を決めるのは、肩書きではなく、その人自身である。
子供服売り場で買った一本のパンツが、そんな当たり前のことを教えてくれた。
そして、あの日の同居人の一言だけは、今でも忘れられない。
「その子供服着られるよ。絶対。」
悔しいことに、その予言は見事に当たってしまった。
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『子供服売り場で見つけた、私のクラシックパンツ』
あの日、子供服のパンツを履いて気づいたことがあります。
私が本当に憧れていたのは、スーツではなく、その服を自然に着こなす「生き方」だったのかもしれません。



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