若い頃、私は映画に出てくる男たちに憧れた。
ギャング映画に登場するダブルのスーツ。
帽子を深く被り、煙草に火を点ける姿。
酒場で流れるジャズ。
そんな世界に、「大人の格好良さ」が詰まっているように思えた。
『マック・ザ・ナイフ』を初めて耳にした頃も、この曲は「したたかな大人の歌」だと勝手に思っていた。
軽快なメロディー。
余裕のある歌い回し。
まるで危険な男ほど余裕を持って生きている、とでも言いたげだった。
しかし後になって知る。
この歌の主人公は、殺人を重ねる犯罪者だった。
陽気な音楽の裏で歌われる残虐な物語。
それが『マック・ザ・ナイフ』だったのである。
だからこそ、この曲は映画の中でたびたび使われる。
『アンジェントルマン』では、酒場で美しい歌声が流れる一方、裏ではスパイたちが命を懸けて暗躍する。
『悪の教典』では、生徒から慕われる教師が、冷酷な殺人者へと変貌する。
どちらも描いているのは、人間の二面性だ。
人は優しさだけでも生きられない。
残酷さだけでも生きられない。
誰もが表と裏を持っている。
映画は、その現実を少し誇張して映し出しているだけなのかもしれない。
そんな映画を観ながら、私はあることに気づいた。
格好いい男とは、派手なスーツを着ている男ではない。
実際、私も一時期はギャング映画に憧れ、クラシックなスーツを仕立てたことがある。
ところが鏡に映っていたのは、映画の主人公ではなかった。
どこか昔のモノクロ時代の鉄人28号である。
服は同じでも、人は同じにはならない。
肩幅。
骨格。
立ち姿。
歩き方。
そして、生き方。
映画の主人公たちは、スーツを着ているから格好いいのではなかった。
彼らの覚悟や信念が、スーツを格好良く見せていたのである。
そのことを教えてくれたのは、映画ではなく、一着の子供服だった。
スーパーの子供服売り場で見つけたクラシックなストライプのパンツ。
「出で立ちだけなら洒落てるのになぁ。」
そう呟くと、隣にいた同居人が言った。
「その子供服、着られるよ。絶対。」
半信半疑で買って帰り、履いてみると、本当に履けた。
今では、そのパンツがお出かけ用になっている。
ブランドでもない。
高価でもない。
子供服である。
それでも、一番気に入っている。
その時、私はようやく分かった。
本当に格好いい男とは、高級な服を着る男ではない。
自分に似合うものを知り、それを自然に着こなせる男なのだ。
そして、それは服だけではない。
言葉も、生き方も、人付き合いも同じである。
人は誰かになろうとして格好悪くなる。
自分らしく生きられるようになって、ようやく格好良くなれる。
映画は派手な銃撃戦やアクションを見せてくれる。
しかし、本当に私が学んだのは、その奥にある人間の姿だった。
だから今でも映画を観る。
主人公の服装を見るためではない。
その服を、どう着こなしているのかを見るためである。
『映画が教えてくれた、本当に格好いい男とは。』
↓『体型戦略』
映画の主人公は、服だけで格好良く見えるわけではありません。
肩幅や姿勢、体型までも含めて、一つのスタイルになっています。
それならば、「自分に似合う体型」とは何なのか。
少し真面目に考えてみました。



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