夜勤のしんどさが高ストレスだった話

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先日、会社で実施されたストレスチェックを受けた。

特に深刻な状態だとは思っていなかったが、結果は高ストレス判定となり、カウンセリングを受けることになった。

正直なところ、自分では普段通りに答えたつもりだった。

だから結果を見た時は驚いた。

しかし改めて考えてみると、思い当たることがないわけではなかった。

私の職場では夜勤業務がある。

夜勤そのものが大変というより、明け方に近づくにつれて人員が減り始めることが負担になっている。

ところが仕事量は人員に合わせて減るわけではない。

むしろ限られた人数で残った仕事を処理しなければならない。

そのため、勤務時間の後半になるほど気持ちに余裕がなくなっていく。

私は職場であまりフランクな付き合いをする方ではない。

以前は自分の性格によるものだと思っていた。

しかし今振り返ると、人付き合いが苦手というより、仕事を回すことを優先しなければならない状況が続いていただけなのかもしれない。

さらに厄介なのは、欠員や無断欠勤が発生することを前提に仕事を組み立てなければならないことだ。

本来なら例外として扱われるべき事態が、いつの間にか日常の一部になっている。

現場の人間は、そのたびに対応方法を考えながら働く。

やがて問題を解決するのではなく、問題と共存する技術ばかりが身についていく。

私はこの状況を、どこか接待ゴルフに似ていると思うことがある。

本来の目的は仕事をすることのはずなのに、実際には周囲の状況や欠員の有無を気にしながら立ち回ることが求められる。

もちろん現場を回すためには必要な対応なのだろう。

時には黒いものを白いと言わなければ業務が進まないこともある。

しかし、その状態が続くと何が正常で何が異常なのか分からなくなってくる。

さらに問題なのは、それを会社へ訴えたとしても劇的な改善が期待できないことだ。

「貴重なご意見ありがとうございます。今後の運営の参考にいたします。」

クレーム対応でよく耳にする言葉だが、現場で働いていると似たような感覚を覚えることがある。

だから多くの人は、問題を解決する方法よりも、問題を抱えたまま働く方法を身につけていく。

そして気が付けば、それを普通だと思うようになる。

今回のストレスチェックで興味深かったのは、高ストレス判定そのものではない。

むしろ、自分では普通だと思っていた働き方が、客観的には負担の大きい状態だったことだ。

人は環境に慣れる。

良い環境にも慣れるが、苦しい環境にも慣れてしまう。

だからこそ時々、自分が当たり前だと思っていることを外側から見直してみる必要があるのかもしれない。

今回のカウンセリングは、そんなことを考えるきっかけになりそうだ。


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