先日、ムービープラスで『ドランクモンキー 酔拳』を流し見しながら作業をしていた。
子供の頃は、酒を飲むことで強くなる不思議な拳法だと思っていた。
しかし大人になって見返してみると、気になったのは酒ではなく修行の方だった。
映画の中では主人公が様々な修行を課される。
水瓶を持って歩かされる場面や、手首を鍛える場面など、子供の頃はどこかコミカルな印象しかなかった。
だが改めて見てみると、酔拳とは随分と難しい拳法である。
酔拳は酔っ払いのようにフラフラと動く。
しかし本当に酔っているわけではない。
むしろ相手にそう見せながら、自分の重心は保ち続けなければならない。
不安定な姿勢を維持するには、強靭な足腰や体幹が必要になる。
そう考えると、水瓶を持って歩く修行も単なる根性論ではなく、理にかなった鍛錬だったのかもしれない。
また、手首を鍛える場面も印象に残った。
以前、大工仕事を手伝った際に、
「金槌は腕力ではなく手首のスナップが大事だ」
と教わったことがある。
強く振り下ろすのではなく、しなやかに力を伝える。
武術にも同じような考え方があるのだろう。
酔拳の打撃は力任せではなく、柔らかさの中に鋭さを持っているように見えた。
映画の中では師匠が酔八仙の極意について語る場面がある。
柔と剛の均衡。
その言葉が妙に印象に残った。
柔らかさだけでは押し負ける。
力強さだけでは動きが硬くなる。
酔拳はその両方を求めているように見える。
さらに考えているうちに、以前耳にした大山倍達氏の逸話を思い出した。
狭いカウンターだけのバーで酒を飲んでいた際、
「ここで戦えば逃げ場がないな……」
と呟いたという話である。
真偽は分からないが、実践を重視した人物らしい視点だと思った。
強さを誇るのではなく、まず状況を見る。
酔拳を見ながら、
「複数相手には不利ではないか」
「本当に酒を飲んでいる暇はないのではないか」
などと考えていた自分も、いつの間にか技そのものより状況を見るようになっていたらしい。
子供の頃は、酒を飲んで強くなる拳法だと思っていた。
しかし今見ると、気になるのは酒ではなく水瓶の方である。
派手な技の裏には、目立たない鍛錬がある。
フラフラしているように見える動きの裏には、強靭な足腰と体幹がある。
酔拳の本質は酒ではなく、そうした見えない土台にあったのかもしれない。



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