椿まつりには、九尾の狐の尾が伝わっているという。
千年を生きた狐の尾。
商売繁盛。
開運招福。
縁起物として語られるには十分な存在である。
祭りの露店には人が集まり、熊手や縁起物が並ぶ。
人は昔から、少しでも運を呼び込みたいと願ってきた。
それ自体は悪いことではない。
むしろ祭りとは、そうした願いを形にした場所なのだろう。
一方で私は、こたつに座りながら九本の尾を眺めている。
我が家の猫たちである。
こちらはご利益を売らない。
商売繁盛も約束しない。
縁起物として飾ることもできない。
ただ毎日、餌を要求し、好きな場所で眠り、時々毛玉を吐く。
極めて現実的な存在だ。
考えてみれば、人は昔から神秘に価値を見出してきた。
伝説は語られ、祭りは続き、物語は受け継がれる。
それによって地域は賑わい、人が集まる。
ある意味では、とても健全な仕組みである。
しかし同時に、人は身近にあるものの価値を見落としがちでもある。
遠くの神秘には惹かれるのに、毎日そばにいる存在には慣れてしまう。
九尾の狐の尾は神社にある。
だが九本の尾が毎日目の前で揺れている環境も、なかなか贅沢なものではないだろうか。
少なくとも私にとっては、神話の狐よりも猫たちの方が身近な神秘である。
そしてその神秘は、入場料も不要で年中無休だ。
ただし餌代だけはしっかり請求されるのである。



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