有精卵を温め始めてから十日ほどが過ぎました。
順調に育っていれば、あと十日ほどで殻を破り、小さなヒヨコが姿を現すことになります。
もちろん、その日を一番楽しみにしているのは同居人です。
私はと言えば、その頃にはまた新たな役目を言い渡されるのではないかと、別の意味で身構えています。
卵を裏返す係から始まり、そのうち餌やり、掃除、鶏小屋の管理まで担当になっていても不思議ではありません。
この家では、役職というものは辞令ではなく空気で決まります。
そんなある日、同居人が得意げに教えてくれました。
「湿度は七〇%くらいがいいらしい。」
どうやら、孵化率を高めるためには、卵を包む布地にも適度な湿り気が必要なのだそうです。
その話を聞いた私は、数字そのものよりも、それを聞いた同居人の反応の方が気になりました。
案の定です。
霧吹きにぬるま湯を入れ、布へ丁寧に吹きかけ始めました。
「なるほど、そこまでやるのか。」
感心する半面、私は別のことを考えていました。
この人物は、「こうした方がいい」と思いつけば、ためらいなく実行する性格です。
だからこそ、私を絶句させるような新しいアイデアが飛び出してきても、今さら驚きません。
私が頭の中で文章を組み立てている間に、同居人は現実を書き換えていきます。
思いついたことを、まずやってみる。
駄目なら、そのとき考える。
その潔さというか、勢いというか。
正直なところ、その発想力は私の想像を軽々と飛び越えていきます。
私は物語を書くことはできます。
しかし、現実そのものをここまで大胆に動かすことはできません。
ちゃぶ台にレンガを敷き、有精卵を運び込み、卵へ番号を書き、湿度を管理し、家族全員を巻き込んでしまう。
私なら思いついても、小説の中で終わるでしょう。
ところが同居人は、それを現実でやってしまいます。
だから私は思うのです。
私は創作をしているのではありません。
記録をしているだけなのだと。
脚本を書いているのは、どう考えても同居人の方です。
もっとも、その脚本には予定調和というものがありません。
昨日まではお茶の名前を付けると言っていた人物が、夜中になると突然、
「酒の銘柄でもいいんじゃないかな。」
と言い出しました。
ダージリン。
アッサム。
ニルギリ。
そうして決まりかけていた名前の候補に、今度はテキーラやウイスキーまで加わります。
名前を決める前に、まず孵ってくれ。
そう思うのですが、同居人の頭の中では、すでにヒヨコたちは庭を元気に走り回っているのでしょう。
そう考えているうちに、ふと昔の記憶がよみがえりました。
メキシコのプロレスラー、チャボ・ゲレロ。
「チャボ」という名前を聞くだけで、その姿が頭に浮かびます。
もし、このヒヨコたちが同居人の期待どおり、とてつもない生命力を持って生まれてくるのなら、「ダージリン」より「テキーラ」の方が似合うかもしれません。
いや、いっそのこと全員メキシコレスラーのリングネームでもいいでしょう。
飛び跳ね、走り回り、ときには柵を越えようとする。
そんな姿まで想像してしまいます。
もっとも、強烈なプロモーターが付いている以上、それぞれに得意技まで設定されるのは時間の問題でしょう。
私が夜更けにポケット瓶のテキーラを傾けながらそんなことを考えている頃も、同居人の頭の中では、次の計画が着々と進んでいるはずです。
卵は静かです。
しかし、その外側は少しも静かではありません。
私が本当に見守っているのは、殻の中のヒヨコではなく、その周囲で際限なく膨らみ続ける同居人の想像力なのかもしれません。
次の記事
卵の中では、小さな命が静かに育っています。
けれど、それ以上の勢いで育っているものがありました。
同居人の想像力です。
チャボの次は庭づくり。
果樹や花木が少しずつ増え、気が付けばわが家は「育てること」が日常になっていました。
同居人は苗木を植え、親父は土を耕し、私はその出来事を文章に植え替える。
同じ時間を過ごしながら、それぞれが違うものを育てているようです。
次回は、そんなわが家の「庭づくりと物語」の話です。



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