― 『ある船頭の話』が記憶から離れない理由
深夜、何気なく映画を観ていると、なぜか何年経っても心に残り続ける作品があります。
私にとって『ある船頭の話』は、そんな一本でした。
物語の舞台は、橋のない山あいの集落。
船頭は毎日、小さな渡し舟で人々を向こう岸へ運びます。しかし橋が架かることになり、長年続けてきた仕事は役目を終えます。
便利になることは、決して悪いことではありません。
それでも橋が架かったことで、人々の暮らしは変わり、それまで当たり前だった風景や人との関わりも、少しずつ姿を消していきます。
船頭は生きるために猟を始め、獣の皮を売って暮らします。
映画は、そんな時代の変化を声高に語ることなく、ただ静かに映し続けます。
その静けさが、不思議なくらい私の幼い頃の記憶を呼び起こしました。
私の父は、集落の付き合いから猟をしていました。
猟銃は金属製の専用保管庫に厳重に保管され、手入れをするときは部屋に鍵をかけ、子どもだった私たちは近づくことを許されませんでした。
秋から冬になると、父は鴨などの渡り鳥を仕留めて帰ってくることがありました。
その鳥は食卓に並び、羽は剥製になることもありました。
一度だけ、剥製を作る店へ連れて行ってもらったことがあります。
店へ入ると、店主はちょうど狸の皮を剥いでいました。
子どもには強い印象を残す光景だったはずです。
それでも恐ろしかったという記憶はありません。
ただ、その情景だけが、今でも静かに心の中へ残っています。
父が仕留めてきた鳥は、私たち家族の食卓に並びました。
当時の私は、それを特別なことだとは思っていませんでした。
食べ物とは店で買うものだけではなく、自然からいただくものでもある。
そんな感覚が、ごく当たり前の暮らしの中にあったのです。
だから、生き物の命を奪うという行為を、ただ残酷なものとして考えることはできません。
もちろん命を奪うことに変わりはありません。
しかし、その命を粗末にせず、感謝しながらいただく。
私が幼い頃に教えられたのは、「命を奪うこと」ではなく、「命をいただいて生きている」という事実だったように思います。
映画の終盤、猟師の息子が船頭を訪ねてきます。
亡くなった父の遺言として、「自分の遺体を山へ置いてほしい」と頼むためです。
これまで自然から命をいただいて生きてきたのだから、最後は自分も自然へ返してほしい。
その願いには、人もまた自然の循環の中で生きる存在なのだという、静かな死生観がありました。
その場面を観たとき、幼い頃に見た父の姿や、狸の皮を剥ぐ職人の姿が、一つにつながったような気がしました。
そして、もう一つ忘れられない場面があります。
船頭はある出来事を前にして、相手を責めません。
「俺はお前をなじることはないし、言える立場でもない。」
その言葉には、生きるために命をいただいてきた自分自身への自覚がありました。
だからこそ、誰かを簡単に裁くことはできない。
その静かな姿勢が、私の心に深く残っています。
現在の価値観から見れば、この映画に描かれる世界はとても非効率です。
橋の代わりに舟を漕ぐこと。
山で獣を獲り、その皮を売って暮らすこと。
そして、自らの身体を自然へ返そうと願うこと。
どれも合理性だけでは説明できない営みです。
しかし、不思議なことに、この映画は観終わってからも記憶から離れません。
便利になれば、人は豊かになれる。
私たちはそう信じて歩んできました。
けれど、この映画は静かに問いかけます。
本当に失われたのは、渡し舟という仕事だけだったのでしょうか。
それとも、人と人が向き合う時間や、自然と共に生きる感覚だったのでしょうか。
私には、その答えは分かりません。
ただ一つ言えるのは、幼い頃に父の背中から教えられたことと、この映画の船頭が教えてくれたことは、どこかでつながっているということです。
命をいただいて生きること。
だからこそ、自分だけが正しいと言える立場ではないこと。
『ある船頭の話』が今でも私の記憶から離れないのは、そのことを静かに思い出させてくれるからなのかもしれません。
便利さや豊かさは、人の暮らしを大きく変えてきました。
しかし、その陰には、時代の流れとともに静かに姿を消していった人たちがいます。
誰かを支えながらも、決して表舞台には立たない人々。
船頭の姿を見ているうちに、私はそんな人たちのことを思い出しました。
もし興味がありましたら、こちらの記事も読んでみてください。
「命をいただく」という言葉は、映画の中だけの話ではありません。
私の記憶の中にも、山の暮らしや狩猟文化に触れた風景が残っています。
食卓へ届くまでの命の重みについて、もう少し掘り下げてみたい方は、こちらの記事も読んでいただければ幸いです。


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