現場のすぐ近くに、「珍味来」というラーメン店がありました。
店主は、あの豚太郎で修業したという話です。
「それなら間違いない。」
そう思って暖簾をくぐりました。
ラーメンを一口すすると、確かに豚太郎の面影があります。
スープの方向性も似ています。
「なるほど。修業していたという話は本当なんだな。」
そう思いました。
ところが、食べ進めるうちに、どうしても心が満たされません。
決して美味しくないわけではありません。
むしろ丁寧に作られた一杯です。
それでも私の舌は、どこか物足りなさを感じていました。
その瞬間、頭の中に浮かんだのが、映画『パルプ・フィクション』のワンシーンでした。
麻薬の品質にうるさい客が、自分をこう表現します。
「俺はアムス上がりだぜ?」
思わず私は、心の中で店主につぶやきました。
「店主さん、悪いけど……俺は”ミタス上がり”なんですよ。」
一度、あのミタスの中毒性に舌を教育されてしまうと、ほんの少しの違いまで敏感になってしまいます。
これは店の問題ではありません。
完全に、私の舌の問題です。
ジャンキーというのは、実に厄介な生き物なのです。
✍️ あとがき
後になって思えば、私はラーメンを食べ比べていたのではありません。
比べていたのは、自分の記憶でした。
熊さんとの思い出。
高校時代の苦い出来事。
家族と囲んだ餃子。
そうした時間が積み重なった豚太郎は、もはや一杯のラーメンではなく、人生そのものになっていました。
だから、少し似ているだけでは満足できない。
「俺はミタス上がりだぜ?」
あの日の心の声は、映画のセリフを借りた冗談でありながら、案外、本音だったのかもしれません。



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