人は料理の味だけを覚えているわけではありません。
店に流れていた空気や、店主との何気ないやり取りまで含めて、一軒の店として記憶に残っているものです。
私にとって、そんな店の一つが「いんでいら」でした。
この店を知ったのがいつ頃だったのかは、あまり覚えていません。
ただ、生活に少し余裕が生まれ、「自分が落ち着ける行きつけの店を何軒か持ちたい」と思い始めた頃だったように思います。
洒落た店にも足を運びました。
けれど、私にはどこか居心地が悪く感じられました。
流行や華やかさよりも、肩肘張らずに過ごせる空気のほうが、自分には合っていたのでしょう。
そんなある日、本屋で立ち読みをした帰り道、小さな階段の先に「いんでいら」を見つけました。
目立つ看板もありません。
最初は喫茶店だと思い、珈琲でも飲んで帰ろうという軽い気持ちで階段を上がったのを覚えています。
店内はカウンターと三つほどのテーブル席。
ガラス張りの壁から柔らかな光が入り、どこかテラスのような開放感がありました。
カウンターでは店主さんが静かに仕込みをしています。
「いらっしゃいませ。」
その一言だけで、この店の空気が伝わってきました。
余計なものがなく、自然体でいられる店でした。
「いんでいら」はカレーの店です。
最初はいろいろな料理を注文しました。
けれど、最後には決まって二つになりました。
カレーピラフ。
そして、カシミールという中辛のカツカレーです。
家庭で食べるような、とろみのあるカレーではありません。
さらりとしたスパイスの効いたルーは、インドカレーを思わせる味わいで、一度食べると忘れられない不思議な魅力がありました。
通い続けるうちに、店主さんとの間には言葉にしない約束のようなものが生まれます。
席へ座ると、お冷が置かれます。
「いつものですか?」
私は少し照れくさくなり、軽く会釈をするだけ。
店主さんは静かに厨房へ戻っていきます。
たったそれだけのやり取りなのに、不思議と心地よい時間でした。
注文すると、最初に運ばれてくるのはカレーピラフです。
私が先にピラフを食べることを覚えてくださっていたのでしょう。
食べ終わる頃を見計らうように、今度は熱々のカシミールが運ばれてきます。
こういう気配りは、決して言葉では説明できません。
何度も通ったからこそ生まれた、小さな信頼関係だったのだと思います。
そういえば、この店に通うようになってから、私はカレーをフォークで食べるようになりました。
普通ならスプーンを使うはずなのに、さらさらとしたルーをフォークで口へ運ぶ。
今でも理由は分かりません。
きっと店の空気というものは、人の癖まで少しずつ変えてしまうのでしょう。
お冷にも、さりげない心遣いがありました。
レモンだったのか、それとも別の柑橘だったのか。
ほんのりと爽やかな香りがして、辛いカレーを食べた口の中を優しく整えてくれます。
そういう小さな気配りが、この店らしさでした。
現在、「いんでいら」は息子さんが店を引き継がれているそうです。
けれど、私が通っていたのは、まだ先代の店主さんがおられた頃のこと。
ですから、この記事は現在のお店を紹介するものではありません。
私が知っている「いんでいら」は、あの頃の静かな時間そのものなのです。
料理の味は、年月とともに少しずつ曖昧になっていきます。
それでも、「いつものですか?」という一言だけは、今でも鮮明に思い出せます。
人は料理を食べに店へ行くのではなく、その場所で過ごした時間を味わいに行っているのかもしれません。
そして、本当に心に残る店とは、自分のことを少しだけ覚えていてくれた店なのだと思うのです。
「いつものですか?」
たった一言なのに、人はその店へ通い続けてしまいます。
料理がおいしいからだけではありません。
自分という存在を覚えていてくれる人がいる。
それだけで、その場所は少しだけ特別になります。
食とは、人との距離を縮める文化でもあるのでしょう。
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