サンイートのパンを知ったのは、美術学校に通っていた知人の生徒さんがきっかけだった。
地元では昔から親しまれているパン屋で、コロッケパンやカツパンなど、惣菜を使ったボリュームのあるパンが並んでいる。
洒落た店ではない。
だが、学生や若い人たちの財布にはとても優しい店だった。
彼女もよく店に立ち寄っていた。
特に目当てにしていたのは、店頭に並ぶ惣菜パンだった。
夕方が近づき、割引シールが貼られ始める頃になると、店の外から様子をうかがっていることもあった。
今思えば、あの姿はどこか懐かしい。
学生というのは、いつの時代も金欠である。
学費、教材費、交通費。
夢を追いかけることと生活を維持することは、案外別の話なのだ。
だからこそ、少しでも安く、少しでも腹を満たしてくれる食べ物には自然と目が向く。
その様子を見ているうちに、なぜか若い頃の自分まで思い出してしまった。
その日、私も彼女にならって惣菜パンをいくつか買って帰った。
家に帰り、格安で買ったコーヒー牛乳と一緒に食べる。
豪華な昼食ではない。
だが、不思議と満足感だけはあった。
空腹というものは面白い。
高級料理の記憶よりも、こうした何気ない食事の方が長く残ることがある。
パンをかじりながら思い出したのは、高校時代の美術教師の話だった。
「昔、美大に通っていた頃な。飯を食う金がなくて、墨絵を消すためのパンを余分にもらって、それで飢えをしのいだことがある。」
本当だったのか、冗談だったのかは分からない。
だが、その話だけは妙に印象に残っている。
考えてみれば、絵を描く人というのは少し不思議だ。
生活が楽とは言えなくても、描くことをやめない。
食費を削ってでも画材を買う人もいる。
周囲から見れば要領が悪く見えることもあるだろう。
それでも本人たちは、なぜか続けてしまう。
サンイートのパンを見ていると、そんな若い頃の熱量まで思い出してしまう。
この店のパンは決して豪華ではない。
それでも、コロッケやカツを挟んだ惣菜パンはしっかりとした食べ応えがあり、学生たちの空腹を支えてきた。
物価が上がり続ける今でも、できるだけ手の届く価格を保とうとしているように見える。
もちろん店側にも様々な苦労があるはずだ。
それでも店頭のパンを見ると、どこか「しっかり食べていきなさい」と言われているような気がする。
郷土料理の記事を書いていると、食べ物そのものよりも、それを囲んでいた人たちの姿の方が気になることがある。
おもぶりもそうだった。
つみかんもそうだった。
サンイートのパンも同じなのかもしれない。
私が思い出しているのはパンの味ではない。
割引シールを待っていた学生の姿であり、空腹を笑いながらやり過ごしていた若い頃の人たちの横顔なのである。
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