『運び屋』の老人が残した問い②

uncategorized

人情の代わりを誰が担うのか

『運び屋』の主人公アールを見ていると、昔の地方社会を思い出す。

困っている人を見かければ声を掛ける。

道端で立ち話が始まる。

近所の様子を自然と気に掛ける。

今なら少しお節介と思われるかもしれないが、かつてはそんな光景が日常だった。


しかし、そのような人達も少しずつ姿を消し始めている。

高齢化が進み、地域の人口も減少している。

支えられる側だけでなく、支える側も高齢者になりつつある。

昔のような共同体を維持すること自体が難しくなっているのだ。


近年ではAIによる人生相談や見守りサービスが増えてきた。

家電同士が連携し、異変を察知する仕組みも実用化されつつある。

冷蔵庫。

テレビ。

照明。

掃除機。

かつては単なる家電だったものが、少しずつ「見守り役」を兼ねるようになってきた。


私は時々、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』に登場するタチコマ達を思い出す。

彼らは情報を共有しながら雑談を続ける。

その姿は、どこか猫の集会にも似ている。

担当であるバトーについて語り合い、最終的には、

「僕らはやっぱりバトーさんが好き。」

という結論に落ち着く。

どこか近所のおばちゃん達の世間話にも見えてしまう。


しかし現実はタチコマほど華やかではないだろう。

未来の見守り役は、おそらくルンバの方が近い。

掃除をしながら家の中を移動する。

住人の生活パターンを把握する。

異変があれば家族や警備会社へ連絡する。

そんな仕組みの方が先に普及する気がする。


もっとも、本当に見守りが必要な人ほど、その仕組みから遠い場所にいる場合もある。

地方には今でも広い旧家で暮らす高齢者がいる。

何十年も使い続けた冷蔵庫。

古いテレビ。

固定電話。

本人にとっては何も不自由していない。

だから最新機器を導入する理由もない。


皮肉な話だが、最も支援が必要な人ほど最新技術の恩恵を受けにくいことがある。

情報社会とは不思議なもので、便利な仕組みが増えるほど、その外側にいる人達も生まれてしまう。


それでも私は、こうした技術の発展を否定するつもりはない。

昔なら近所の人が気付いたことを、今後は家電やAIが補助する時代になるのだろう。

それは人情を否定するものではなく、人情だけでは支えきれなくなった社会を支えるための仕組みなのだと思う。


『運び屋』のアールのような老人達が少なくなった今、私たちは別の方法で人と人との繋がりを補おうとしている。

しかし、技術が進歩しても一つの問いは残る。

人は本当に安心を求めているのか。

それとも誰かに気に掛けられているという実感を求めているのか。

その問いは、やがて家族の在り方にも繋がっていくのである。


コメント

タイトルとURLをコピーしました