人情はどこへ行ったのか
クリント・イーストウッド監督の『運び屋』を観ていると、不思議な感覚になる。
主人公のアールは決して褒められた人物ではない。
家族との関係は上手くいかず、老後には麻薬組織の運び屋という危険な仕事に手を染める。
それでもなぜか憎めない。
道中で困っている人を見れば手を貸し、初対面の相手とも気さくに話し込む。
一方で、今の感覚では到底許されないような差別的発言や無神経な言葉も平気で口にする。
善人とも悪人とも言い切れない。
そんな複雑な人物である。
彼を見ていると、昔近所にいたおじさん達を思い出す。
口は悪い。
愛想も良いとは言えない。
今なら苦情が来そうな発言も平気で口にする。
ところが困っている人を見ると放っておけない。
なぜかそういう人が多かった。
昔、父が車を運転していると、前を走る車の荷台からバッグがいくつも道路へ落ちたことがあった。
父はそれを拾い集めて交番へ届けた。
しばらくすると持ち主の女性が現れ、お礼をしようとした。
しかし母は、
「困った時はお互い様ですから。」
と言って、その場を後にしたという。
当時は特別な美談でもなかった。
地方では珍しくない出来事だったと思う。
もちろん、あの時代を美化するつもりはない。
人情味があった反面、乱暴な人も多かった。
理不尽な上下関係もあった。
今なら問題になるようなことも少なくなかった。
それでも、人と人との距離は今より近かったように思う。
『運び屋』のアールもまた、その時代の生き残りなのかもしれない。
相手の事情を深く知らなくても手を貸す。
困った時はお互い様。
そんな価値観で生きてきた老人である。
しかし映画の中では、その価値観が少しずつ居場所を失っていることも描かれている。
今の社会は昔より安全で便利になった。
その一方で、人との距離は確実に変わった。
見知らぬ相手への親切が警戒されることもある。
落とし物を届けることさえ慎重になる時代だ。
それが悪いことだとは思わない。
時代には時代の事情がある。
ただ、『運び屋』を観ていると考えてしまう。
人情味のあった時代が消えたのか。
それとも私たちが、人情を表に出しにくい社会を作ったのか。
アールという老人は、その問いを私たちに投げ掛けているようにも見える。
そしてその問いは、次第に高齢化が進む社会において、「人情の代わりを誰が担うのか」という別の問題へ繋がっていくのである。



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