祭りと「まつりごと」 ― 人はなぜ非日常を作るのか?

uncategorized

最初は、ただ学園祭の実行委員会が気になっただけだった。

学生たちは、一体何をしているのだろうか。

その疑問から調べ始めた。

しかし気づけば話はどんどん広がっていった。

ライブ主催者。
地域の祭り。
花火大会。
テレビ局。
協賛企業。
製作委員会。
夜市。

そして最後には、「まつりごと」という言葉へ辿り着いた。

祭りは自然発生しているわけではない

子供の頃、祭りというものは自然に開催されるものだと思っていた。

夏になれば屋台が並ぶ。
花火が上がる。
神輿が走る。

しかし実際には、その裏で大量の人間が動いている。

  • 実行委員会
  • 警備
  • 協賛企業
  • テレビ局
  • 行政
  • ボランティア

など。

しかも、それぞれが別の役割を持っている。

つまり祭りとは、

「誰かが準備して初めて成立する非日常」

だったのである。

人は「日常ではない空間」を求める

祭りには独特の空気がある。

蒸し暑さ。
ざわめき。
音楽。
光。

そして少しだけ、

「何かが起こりそう」

な感覚がある。

これはかなり不思議だ。

普段の街では、人は秩序の中で生活している。

しかし祭りの夜だけは、その秩序が少し緩む。

道路が封鎖され、屋台が並び、人が集まる。

つまり祭りとは、

「日常空間を一時的に別世界へ変える行為」

でもあるのである。

しかし「自由」には管理が必要になる

面白いのは、祭りが自由に見えるほど、裏側では大量の管理が必要になることだ。

  • 交通整理
  • 火気管理
  • 救護
  • 警備
  • 会計
  • ゴミ処理

など。

観客が熱狂できるほど、誰かが秩序を支えている。

つまり祭りとは、

「混沌」と「管理」

のバランスによって成立しているのである。

「副」の存在が組織を支えている

祭りの記事を書いているうちに、私は「副」という役職が気になるようになった。

副委員長。
副社長。
副大統領。

トップほど目立たない。

しかし実際には、

  • 調整
  • 現場対応
  • 人間関係
  • 現実処理

などを担っている。

これは祭りでも同じだった。

観客が見るのはステージや花火だ。

しかし裏側では、

「問題が起きないよう動く人間」

が大量に存在している。

つまり巨大な非日常ほど、

目立たない人たちによって支えられているのである。

映画製作委員会も「祭り」に近い

映画の製作委員会も、少し似ている。

  • 出資
  • 宣伝
  • 管理
  • 制作

などを複数の組織で分担する。

これは花火大会や地域祭りの構造にかなり近い。

つまり人間は昔から、

「巨大な非日常を共同制作する」

仕組みを作ってきたのかもしれない。

祭りも映画も、完成した瞬間だけを観客は見る。

しかしその裏では、無数の調整が行われている。

夜市は「一晩だけ現れる街」

最近、夜市を見ると不思議な感覚になる。

昼間は普通の道路だった場所に、突然街が現れるからだ。

屋台。
電球。
人混み。
音。

そこには、

  • 飲食
  • 接客
  • 警備
  • 電源
  • 清掃

など、小さな社会に必要なものが揃っている。

つまり夜市とは、

「一晩だけ現れる小さな文明」

なのではないかと思うようになった。

「まつりごと」とは何だったのか

昔の人は、政治を「まつりごと」と呼んでいた。

最初は大げさな表現だと思っていた。

しかし今は少し違う。

人が集まる場所には、

  • 役割分担
  • 調整
  • 資金
  • 安全管理

が必要になる。

つまり祭りも政治も、

「人間社会を動かす仕組み」

という意味では、かなり近い構造を持っているのである。

なぜ人は非日常を作るのか

正直に言えば、祭りというものはかなり非効率だ。

お金もかかる。
人手も必要。
トラブルも起きる。

それでも人は、何度も祭りを作る。

なぜなのだろうか。

おそらく人は、

「日常だけでは息が詰まる」

生き物なのだと思う。

だから時々、

  • 花火
  • 音楽
  • 熱狂

によって、別の空気を作りたくなる。

そして、その一瞬のために多くの人間が協力する。

CATV越しに見る祭り

最近の私は、現地へ行かずCATVで祭りを見ることが増えた。

クーラーの効いた部屋。
猫にはチュール。
こちらは缶ビール。

かなり怠惰な祭り参加である。

しかし、それでも画面越しに感じるものがある。

神輿の熱気。
花火の音。
人混みのざわめき。

つまり祭りとは、

現地へ行かなくても空気だけは伝わってくるほど、人間の感情を動かす装置なのかもしれない。

祭りは「人間そのもの」なのかもしれない

最初は学園祭の実行委員会が気になっただけだった。

しかし気づけば、

  • 組織
  • 政治
  • 映画
  • 地域社会
  • 裏方

の話へ広がっていった。

祭りとは単なる娯楽ではない。

人が集まり、役割を分担し、秩序を作りながら、一時的な熱狂を生み出す。

つまり祭りとは、

人間社会そのものを小さく圧縮した姿なのかもしれない。

だから人は、毎年飽きずに祭りを作り続けるのだと思う。

あわせて読みたい

学園祭の実行委員会って何をしているのか?

花火大会は誰がお金を出しているのか?

夜市は一晩だけ現れる小さな街だった。

副大統領と実行委員会 ― 目立たない人たちの役割

コメント

タイトルとURLをコピーしました