魅+夜話 第9話【愛媛あるある】豚太郎とテリトリーの話

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愛媛県民なら、一度はお世話になったことがあるであろう豚太郎。

ところが、この店には少し不思議な文化があります。

それは──自分のテリトリーの店しか行かない人が多いということです。

例えば我が家では、

  • 叔父夫婦は「来住町」の豚太郎。
  • 弟家族は「松前町」の豚太郎。
  • そして私は「伊予店」の豚太郎。

なぜそうなるのかと聞かれても、うまく説明できません。

近くに別の店舗があっても、「今日はあっちへ行ってみよう」という発想がほとんど出てこないのです。

まるで、自分の縄張りが決まっている動物のようです。

■ 味よりも「帰る場所」

もちろん店舗ごとに多少の違いはあります。

でも、それ以上に大きいのは「思い出」なのかもしれません。

子どもの頃、家族と食べに行った店。

部活動の帰りに立ち寄った店。

友人と夜更かししながら食べた店。

私たちはラーメンの味だけではなく、その店で過ごした時間ごと記憶しています。

だから、他の店舗へ行くと、どこか落ち着かない。

味の問題ではなく、「帰る場所」が違うような感覚なのです。

■ 豚太郎は地域の記憶装置

少し大げさに言えば、豚太郎はラーメン屋というより、地域の記憶装置なのかもしれません。

土地ごとに常連がいて、それぞれに思い出があり、「自分の豚太郎」がある。

愛媛県民が店舗を変えないのは、ラーメンにこだわっているからではありません。

そこで過ごした人生を、大切にしているからなのでしょう。

✍ 編集後記

「どこの豚太郎に行く?」

そんな何気ない会話ひとつで、その人が育った町や家族との思い出が少しだけ見えてきます。

ラーメンは同じでも、人生は一人ひとり違う。

だからこそ、愛媛県民には、それぞれの「帰る豚太郎」があるのだと思います。

■ 私にも「伊予店」しかない理由がある

人のことを「なぜあの店にしか行かないのだろう」と思っていましたが、よく考えてみると、私自身も同じでした。

私にとって豚太郎といえば、やはり伊予店です。

味だけで選んでいるわけではありません。

この店は、豚太郎が伊予市に最初に出店した頃から通い続けている店でした。

気が付けば、本店に負けないくらい長い付き合いになっています。

高校時代には苦い思い出もありました。

一方で、店長の『熊さん』との出会いと専務さんとの夜釣りの帰りに立ち寄り、他愛もない話をしながら食べたラーメンの温かい記憶もあります。

人生には、楽しかった出来事だけではなく、忘れたい出来事もあります。

それでも、そのどちらも受け止めながら、変わらずそこにあり続けてくれたのが伊予店でした。

だから私にとって伊予店は、単なるラーメン屋ではありません。

人生の節目ごとに立ち寄ってきた場所であり、過去の自分と今の自分を静かにつないでくれる場所なのです。

思い返してみると、愛着とは「味」に生まれるものではなく、「時間」に育てられるものなのかもしれません。

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