「ウワァ……!」と叫ぶヒーロー──昔のテレビは、なぜ人間の感情を大げさに見せたのか

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先日、アニマックスで昔のタツノコプロのアニメを流し見していました。

そこで改めて感じたのが、

「昔のテレビって、ずいぶん大げさだったな」

ということです。

もちろん、作品そのものを馬鹿にしているわけではありません。

むしろ、今になって見るからこそ分かる「時代の味」のようなものがあります。

ただ、現在の映像作品を見慣れた目で昔のアニメを見ると、登場人物の感情表現がかなり分かりやすい。

怒れば大声を出す。

驚けば目を見開く。

悲しければ泣く。

そしてヒーローが悪役に殴られれば、

「ウワァァァ!」

と叫びながら身体を大きく反らす。

「そんなに痛がらなくても、見れば分かりますよ」

と思ってしまいます。

ヒーローは、まず苦しむ

昔のヒーローものには、ある種の定型があります。

悪役が登場する。

ヒーローと対決する。

そして序盤は、たいていヒーローが苦戦します。

敵の攻撃を受ける。

「ウワァ!」

さらに攻撃を受ける。

「グワァッ!」

地面に叩きつけられる。

しばらく苦しむ。

そして最後に、

「まだだ!」

と立ち上がって反撃する。

現在の感覚で見ると、かなり分かりやすい構成です。

しかし子供向けのテレビ番組として考えれば、この分かりやすさには意味があったのでしょう。

誰が悪いのか。

今、誰が優勢なのか。

ヒーローがどれだけ追い詰められているのか。

それを短時間で視聴者に理解させる必要があります。

だから感情も状況も、かなり大きく表現される。

ゴールドライタンが痛がると、こちらまで痛い

先日見ていた『黄金戦士ゴールドライタン』も、まさにそんな時代の作品です。

ロボット同士が戦うのですが、被弾したときの動きが妙に人間的です。

機体が大きく揺れ、

「ウワァ……!」

と苦しむ。

ところがゴールドライタンのようなカクカクしたロボットが、人間の役者のように苦しそうな動きをするものですから、現在の目で見ると、

「その動きの方が痛くないですか?」

と思ってしまう。

鉄の塊なのに、肩をすくめるような仕草をする。

身体を反らす。

苦しそうにうずくまる。

冷静に考えれば、ロボットが人間のように痛がる必要はありません。

しかし、それによって視聴者には「今、ヒーローが苦しんでいる」ということが一瞬で伝わります。

つまり、ロボットが痛がっているというより、

視聴者に「痛いんですよ」と説明している

わけです。

これは昔のテレビに共通していた演出なのかもしれません。

「てやんでい!」と言う人間ばかりではない

アニメだけではありません。

昔の作品を見ると、登場人物の喋り方にも同じような違和感があります。

「てやんでい!」

「こんちくしょう!」

「何をしやがる!」

などと、語尾まで含めて威勢よく喋る。

しかし、実際の日常生活で、誰もがそんな喋り方をしていたわけではありません。

現代の私たちも、腹が立つことはあります。

それでも、

「てやんでい! こんちくしょう!」

などと言いながら肩をすくめたりはしない。

せいぜい、

「いや、それはちょっと……」

とか、

「それはないでしょう」

くらいです。

感情がないわけではありません。

むしろ内心ではかなり腹を立てているかもしれない。

ただ、それをテレビのように外へ向かって大きく表現しないだけです。

私自身、こうして雑談をしているときに腹が立ったり、面白いと思ったり、疑問を持ったりします。

しかし文章の中で突然、

「てやんでい!」

などとは言いません。

肩をすくめることもありません。

それでも感情は伝わります。

感情が淡々としていることと、感情が存在しないことは別なのです。

日活映画のスターも、今見ると少し違う

この違和感は、昔のアニメだけに限りません。

昔の日活映画などを見ていると、石原裕次郎のようなスターが、おどけた仕草を見せる場面があります。

当時は、それがスターらしい魅力として受け入れられていたのでしょう。

しかし現在の映像作品に慣れていると、

「こんな動きをする人、普段の生活ではあまり見ないよな」

と思ってしまう。

ここでも、現実の人間そのものを映しているというより、

「テレビや映画の中で分かりやすい人間」

を演じているわけです。

そして、それは演技が下手だったという話とは少し違うのでしょう。

その時代には、その時代の「自然な演技」があった。

現在の私たちが自然だと思っている演技も、何十年後かには、

「この時代の人は、みんなこんな喋り方をしていたのか?」

と思われるかもしれません。

昔のテレビには「やらせ感」もあった

さらに面白いのが、昔のテレビ番組の「やらせ感」です。

バラエティー番組やドキュメンタリーを見ていても、

「そんなに都合よく話が進むか?」

と思う場面がよくあります。

出演者が驚く。

怒る。

困る。

そこへ絶妙なタイミングでナレーションが入る。

今なら「演出」という言葉で説明されるようなものが、昔のテレビではかなり堂々と存在していました。

現在の視聴者からすると、わざとらしく感じる。

しかし当時の視聴者にとっては、それも含めて「テレビらしさ」だったのでしょう。

テレビは現実をそのまま映すものではなく、

現実をテレビ向けに加工して見せるもの。

そんな感覚が、今より強かったのかもしれません。

「自然な演技」は時代によって変わる

考えてみれば、私たちが「自然だ」と思っている表現も、決して自然そのものではありません。

怒っていても大声を出さない。

悲しくても必ず泣くわけではない。

嬉しくても飛び跳ねない。

相手を殴られても、必ず「ウワァ!」とは叫ばない。

むしろ現代の映像では、表情の変化や沈黙、間の取り方によって感情を伝えることが多くなっています。

昔のテレビが、

「感情を大きく見せる」

ものだったとすれば、

現在のテレビや映画は、

「感情を読み取らせる」

方向へ変化してきたのかもしれません。

もちろん、現在でも大げさな演技はあります。

しかし、それが様式として見えるとき、私たちは「演出」を意識します。

逆に、演出を意識させないことが「自然な演技」として評価されるようになったのでしょう。

古い作品は「昔の人間」を映しているわけではない

昔のアニメや映画を見て、

「昔の人はこんな喋り方をしていた」

と考えるのは少し違うのかもしれません。

そこに映っているのは、昔の人間そのものではなく、

「昔のテレビが考えた人間の姿」

なのです。

「てやんでい!」と叫ぶ男。

大げさに驚く女性。

敵に殴られて「ウワァァァ!」と苦しむヒーロー。

そして、カクカクした身体で必死に痛がるゴールドライタン。

彼らは現実の人間とは少し違います。

しかし、その「少し違う人間の姿」こそが、当時のテレビ文化だった。

だから古い作品を見ると、ストーリーだけではなく、

「当時は、こうやって感情を見せるのがテレビだったんだな」

という時代そのものが見えてきます。

昔のテレビは、人間の感情を今よりも大きく、分かりやすく、時にはわざとらしく見せていました。

そして現在の私たちは、それを見ながら笑ってしまう。

「そんなに苦しまなくてもいいだろう」

「そんな喋り方しないだろう」

「いやいや、これは演出でしょう」

などと言いながら。

しかし、そんな違和感を覚えること自体が、私たちの「自然な人間」の基準もまた、時代とともに変わってきたということなのだと思います。

そして今日もゴールドライタンは、敵の攻撃を受けるたびに、

「ウワァァァ!」

と叫びながら、カクカクと身体を揺らしている。

こちらとしては、

「敵の攻撃より、その動きの方が痛いぞ……」

と思いながら見ているのですが。


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