衣・食・住は人が生きるための基本とされています。しかし、人が集まる場を思い浮かべると、その多くは「食」を中心に成り立っていることに気づきます。
結婚式の披露宴、祝宴、法事、祭り、会社の飲み会、友人との食事会。海外ではホームパーティーや晩餐会、日本では居酒屋や宴会など、形は違っても「食卓を囲む」という行為は世界中に共通しています。
最近、イタリア映画『あしたのパスタはアルデンテ』を流し見しながら作業をしていました。大家族でパスタ工場を営む一家が、それぞれの悩みや葛藤を抱えながらも、何度となく同じ食卓を囲みます。
そこでは料理そのものよりも、笑いがあり、口論があり、沈黙があり、そして和解があります。食卓は単に空腹を満たす場所ではなく、人間関係を映し出す舞台として描かれていました。
考えてみれば、日本にも「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。同じものを食べ、同じ時間を過ごすことは、互いを理解し、信頼を育てる営みとして受け継がれてきました。
落語家の春風亭小朝師匠が、新しい話芸を広げるには、まず噺家同士の意見やアイデアを出し合う前に、腹を満たすことが大切だという趣旨を語っていたことを思い出します。人は空腹のままでは、笑いも言葉も十分に味わえません。胃袋が満たされることで心に余裕が生まれ、ようやく会話や芸を楽しめるのです。
料理は胃袋を満たします。しかし、人が本当に満たされるのは、その料理を誰と囲み、どんな言葉を交わしたかという記憶なのかもしれません。
だからこそ、食文化とは料理だけではなく、人と人とのつながりそのものを育てる文化なのだと、私は思うのです。
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