映画を流し見していると、不思議と足を止めてしまう作品があります。
『Summer of ’42』も、その一本でした。
初恋の映画として知られていますが、私にはそれ以上に「少年時代のぎこちなさ」を静かに記録した映画のように思えました。
特に印象に残ったのは、主人公が避妊具を買いに薬局へ向かう場面です。
経験のない少年は、恥ずかしさを隠そうと必死です。一方、薬剤師は目的を察しながらも、どこか回りくどい言い方をします。
少し意地悪にも見えます。
しかし、その奥には不思議な優しさがあります。
「大人になるとは、こういう気まずさを一つずつ経験していくことなんだ。」
そんなことを、薬剤師は説教ではなく態度で教えているようでした。
思えば、人はこうした小さな出来事を何度も経験しながら大人になっていきます。
初めて一人で店に入った日。
初めて誰かに話しかけた日。
初めて恥をかき、それでも前へ進んだ日。
どれも小さな出来事ですが、後になって振り返ると、自分を少しだけ成長させてくれた大切な記憶になっています。
映画の中では、主人公の友人たちも同じように経験を重ねていきます。
彼らは互いにからかい合い、見栄を張り、子どもらしい振る舞いを繰り返します。
けれど、本当に大切な場面では主人公を必要以上に邪魔しません。
「頑張れ」と言うわけでもなく、「任せろ」と背中を押すわけでもない。
ただ、友人として少し距離を置きながら見守っている。
あの絶妙な距離感に、「良い奴らだな」と思わず笑みがこぼれました。
少年時代の友情とは、案外そんなものだったのかもしれません。
言葉にしなくても通じるものがあり、励ましよりも、一緒に時間を過ごすことそのものが支えになっていた。
大人になると、人は効率よく物を買い、効率よく人と付き合い、失敗を避けようとします。
それは便利ですが、あの頃のように恥をかきながら覚えた経験は、少しずつ減っていくのかもしれません。
だからこそ、この映画は今でも古びないのでしょう。
初恋を描いた作品でありながら、実際に描いているのは「大人になる途中の自分」です。
そして、その途中には必ず友人がいて、少しお節介な大人がいて、自分では忘れたつもりでも心のどこかに残り続ける、小さな通過儀礼があります。
人生を変えるほどの大事件ではありません。
けれど、人はそんな小さな出来事を積み重ねながら、自分という人間を少しずつ形づくっていくのでしょう。
だから私は、この映画を恋愛映画としてではなく、「少年時代という、一度しか訪れない季節を記憶する映画」として、もう一度観てみたいと思いました。
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「人はなぜ他人の人生に興味を持つのか」へ
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「食から言葉へ──郷土文化における身体・笑い・記憶の構造」へ



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