焼きそばメモリー

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――都市の境界を読む
最近の焼きそばというのは進化しているなあ……などと、時代錯誤な郷愁に浸ることがあります。
普段は料理などほとんどしない私ですが、なぜか焼きそばだけは自分で作ることがあります。
手順は簡単です。
カット野菜をフライパンに敷き詰め、その上に麺を載せて軽く蒸し焼きにする。
あとは幾つかの調味料で味を整えながら炒めれば、それなりに形になります。
即席麺、冷凍食品、出来合い――色々と試してきましたが、行き着くところは自己流が無難なのでは、と思うようになりました。
さほど経費もかからず、失敗のリスクも少ない。
都市で生活するには、こうした「無難さ」が案外重要なのかもしれません。
匂いが越えてくる境界
かつて母親は、私がフライパンで仕上げにかかると、脇から現れては
「私の分も追加で」
と言うのが日課でした。
声を掛けたわけでも、呼び寄せたわけでもありません。
ただ、ソースの焼ける匂いが、台所と居間の境界を越えて届いただけです。
都市には、壁や扉、敷地や制度といった分かりやすい境界があります。
しかし、匂いのように、意図せず越えてくるものも確かに存在します。
それは拒むことも、制御することも難しいものです。
人から猫へ
正月明け。
自分で作ったお粗末な焼きそばを食卓に置くと、脇から見慣れた物体が頭を出しました。
三毛柄の女性は、どうやらソースの匂いにつられて来たようでした。
人間と猫のあいだには言葉の壁がありますが、匂いに関しては話が別のようです。
この家に彼女がやって来た頃のことを、ふと思い出しました。
親父が、小さな存在の眼差しが母親に似ているのだと言っていたことです。
人がいなくなり、代わりに猫がいる。
それでも、同じ匂いが同じ場所に集まる。
境界の向こう側にあったものが、形を変えて残っているだけなのかもしれません。
都市の中の私的領域
焼きそばは、特別な料理ではありません。
むしろ、安価で、簡単で、どこにでもある食べ物です。
けれど、フライパンから立ち上る匂いは、
都市生活の合理性や効率の境界を、ふと越えてきます。
制度でも、地図でも区切れない領域。
記憶や感情が、静かに侵入してくる場所。
やはり焼きそばというものは、
都市の中に残された私的な境界線を、そっと浮かび上がらせる存在なのかもしれません。

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