猫跨ぎにもならない朝

観察記

夜勤明けの明け方、職場での些細な啀み合いを持ち帰った。
胸の奥に、不完全燃焼のような鬱憤が残っている。

本来なら、そのまま一日を台無しにするには十分な量だ。
人間同士なら、ここからさらにこじらせることもできる。

だが帰宅してみると、その前提が少し揺らぐ。

いつもなら騒がしく出迎える徐倫が来ない。
あの、やたらと声だけは一人前の雄猫が、今日は姿を見せない。

違和感に引かれて探すと、ちゃぶ台の下、座椅子の影で丸まっていた。
声をかけて撫でると、一度だけこちらを見上げる。

その視線には、特に意味がない。
慰めでもなければ、共感でもない。

ただ「いる」だけの目だった。

やがて興味を失ったように背を向け、再び丸くなる。

どうやら、こちらの事情は一切関係ないらしい。

ふと横を見ると、今度はコリンが台の下で眠っている。
静かに目を閉じていたかと思えば、突然、頭ががくんと前に落ちた。

一瞬、嫌な想像がよぎる。
このまま動かなかったらどうする、という類のやつだ。

慌てて近づくと、絨毯に顔を埋めたまま微動だにしない。
時間だけが妙に長く感じられる。

だが数分後、何事もなかったかのように顔を上げ、
いつものように前足に顎を乗せて眠り直した。

結局、ただの寝相の問題だった。

その一連を見ているうちに、自分の中にあった鬱憤の方が、先に行き場を失った。
残してきたはずの苛立ちは、どこにも見当たらない。

どうやらこの程度の感情は、猫からすれば跨ぐまでもないらしい。

踏む価値もなければ、避ける必要もない。
存在していても、していなくても同じ重さ。

人間同士なら、あれだけ丁寧に育てられる不機嫌も、
猫の前では最初からなかったことになる。

猫からすれば、人間というのは少し奇妙な生き物なのかもしれない。
何もないところから、わざわざ厄介なものを作り出し、それを大事そうに抱えて歩く。

しかも厄介なことに、それは他人に見せびらかすためのものですらない。
自分の中で勝手に膨らませて、勝手に重くしている。

こちらから見れば、それなりに理由のある鬱憤でも、
猫の目には「用途不明の荷物」にしか映らないのだろう。

だから踏まない。
避けもしない。

ただ、存在していないかのように通り過ぎる。

結果として、その荷物だけが取り残される。

慰められたわけではない。
理解されたわけでもない。

ただ、相手にされなかっただけだ。

それでも結果として、気分は収まっている。

そう考えると、少しだけ滑稽だ。
人間の機嫌というものは、猫の昼寝ひとつに劣る程度の存在らしい。

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