「また豚かよ」と思いながら、それでも足が向いてしまう店がある。
それが、愛媛県民にはおなじみのラーメンチェーン「豚太郎」である。
県外の人にはただのローカルチェーンに見えるかもしれないが、地元民にとっては少し事情が違う。
この店には不思議な“縄張り”があるのだ。
たとえば、叔父夫婦は来住町店しか行かない。弟家族は松前町店一択。そして私は伊予店以外を認めていない。
同じ「豚太郎」でありながら、なぜかそれぞれが“自分の店”を持っている。
これはもはやラーメン屋というより、個人の記憶に紐づいた“生活圏の聖域”に近い。
🧂 やめられない豚
普段の私は、どちらかといえば慎ましい食生活をしている。
脂っこいものは控え、健康診断の数値を気にする、ごく普通の生活者だ。
それでも年に数回、いや、気がつけば月に一度くらいの頻度で「豚」が恋しくなる瞬間がやってくる。
そしてそのたびに、私は吸い込まれるように暖簾をくぐる。
問題はその後だ。
健康診断の結果に「要再検査」の文字が並ぶ。
そして病院へ行き、また数値を確認し、少し反省し、また豚太郎へ戻る。
——このループから、なぜか抜け出せない。
もはやこれは食生活ではなく、“人生の循環構造”になっている。
🧬 範馬勇次郎という謎の説得力
そんなとき、なぜか思い出してしまう人物がいる。
それが『グラップラー刃牙』に登場する範馬勇次郎だ。
彼はこういう理屈を平然と口にする。
「自然食品と人工物、両方を摂取することで人間は完成する」
普通なら笑い飛ばすところだが、不思議と心に引っかかるものがある。
結局のところ、人間の体なんて誰にも完全には分からない。
であれば、「食べたいものを食べる」という直感の方が、むしろ自然なのではないか——そんな気すらしてくる。
🐖 豚 vs 勇次郎
もし「豚」と「範馬勇次郎」が戦ったらどうなるのか。
まともに考えれば勝負になるはずもない。
だが結論はひとつだ。
たぶん最後は、勇次郎がこう言う。
「いい豚だ……俺が食う」
そして終わる。
勝ち負けの問題ではないのだ。
🍥 結び
健康とは何だろうか。
数値が正常であることか、脂質が低いことか。
それとも、もっと単純に——
「うまかった」と思える時間を持てることなのか。
そう考えると、今日もまた一杯の豚太郎に吸い寄せられてしまう自分を、完全には否定できない。
それはもはや嗜好ではなく、ひとつの生活習慣であり、記憶の延長なのだ。



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