人はなぜ誰かに憧れるのか──強さの先に見えてくるもの

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「あの人みたいになりたい」と思った日のこと

人は誰しも、一度くらいは誰かに憧れたことがある。

テレビの中の俳優。

漫画の主人公。

歴史上の人物。

あるいは、身近にいた先輩や恩師。

子どもの頃は、それが当たり前だった。

「強そうだから。」

「格好いいから。」

理由は、それだけで十分だったのである。

私も例外ではない。

若い頃は、強い男に憧れた。

映画の主人公や時代劇の武士。

漫画では『バキ』の範馬勇次郎。

その姿に、自分にはない何かを重ねていた。

だから髪型を真似したこともある。

服装を意識したこともある。

きっと、自分も少しだけ近づけるような気がしていたのだ。


憧れは「真似ること」から始まる

若い頃の憧れは、とても分かりやすい。

髪型を変える。

服を真似する。

話し方まで似せてみる。

誰かに近づくことで、自分も変われると思っていた。

それは決して悪いことではない。

むしろ、人は憧れを通して、自分という人間を少しずつ形づくっていくのだと思う。

しかし、歳月は少しずつ価値観を変えていく。


強さだけでは、憧れは続かない

若い頃は、「強さ」が魅力だった。

誰にも負けない力。

圧倒的な存在感。

そういうものに惹かれていた。

ところが年齢を重ねると、不思議な変化が起こる。

強い人よりも、穏やかな人が気になり始める。

派手な人よりも、静かな人に目が留まる。

若さを競う人よりも、年齢を受け入れている人に惹かれるようになる。

私自身、最近になって思う。

憧れていたのは「強さ」ではなく、その人が積み重ねてきた時間だったのではないか、と。


生き方は、顔や服装にも表れる

若い頃に憧れた人たちを思い返してみる。

三船敏郎さん。

三國連太郎さん。

中村吉右衛門さん。

誰一人として、流行だけで格好良かった人はいない。

歩き方。

立ち姿。

着物の着こなし。

言葉を発しない時間。

そうした一つひとつが、その人の人生を映していた。

最近では、白髪を自然に生かした俳優や、年齢を隠さずに髪を結ぶ人の姿にも目が留まる。

若さを取り戻そうとしているのではない。

年齢を重ねたからこそ生まれる美しさを、その人たちは教えてくれる。


憧れの正体

結局、人は何に憧れているのだろう。

私は最近、それは「能力」ではなく、「生き方」なのだと思うようになった。

強いからではない。

有名だからでもない。

その人が、どんな時間を積み重ね、どんな価値観で生きてきたのか。

その姿に、人は惹かれる。

だから憧れは、年齢とともに変わる。

若い頃には見えなかったものが、ようやく見えてくる。

それは、自分自身もまた、歳を重ねた証なのかもしれない。


おわりに──憧れの先にあるもの

昔は、「あの人になりたい」と思っていた。

今は少し違う。

誰かになることではなく、自分らしく歳を重ねたいと思うようになった。

もちろん、憧れは今でもある。

だが、それは真似をするためではない。

自分という人間を見つめ直すための道しるべになっている。

憧れとは、誰かを追いかけることではなく、自分がどんな人間になりたいのかを教えてくれる鏡なのだろう。

そして最近、そんなことを考えながら『鬼平犯科帳』を見返している。

若い頃は物語に夢中だった。

しかし今は、登場人物の立ち居振る舞いや着物の色、光と影の美しさばかりに目が向いてしまう。

どうやら私が憧れるものは、また少し変わり始めているようだ。


次の記事

勇次郎の髪型をきっかけに振り返ってみると、私が惹かれていたのは髪型そのものではなく、その人物がまとっていた空気だったのかもしれません。

最近、何気なく見返している『鬼平犯科帳』でも、物語以上に目を奪われるものがあります。

着物の色、光の使い方、そして歳を重ねた人だからこそ醸し出せる佇まい──。

次は、そんな「時代劇が色褪せない理由」について綴ってみようと思います。

『鬼平犯科帳』が何十年経っても色褪せない理由──私が物語より先に「人」を見てしまうわけ

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