3つの暦

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暦は一つしかないと思っていた。


暦の先


今年に入ってから、壁に掛けたカレンダーが一月で終わっていることに気づいた。
同居人に百円ショップで買ってきてほしいと頼むと、「そういうことは去年のうちに言ってくれないと困る」と言われた。
もっともだと思いながら、私は自分の生活が、暦の続きにそれほど用をなしていないことにも気づく。
先の予定を描ける人間ほど立派だと、世の中は言う。
未来のページが白紙であることは、怠慢のように扱われる。
けれど、予定で埋め尽くされた暦の中に、今日という一日はどれほど残されているのだろう。
私は、日付の書かれていない出来事に救われてきた。
思いがけない買い物、何でもない会話、どうでもいい一日の躓き。
一月で終わる暦を前にして、私は今日も、その先を書かずに生きている。


予定で埋め尽くされた一日


朝から予定は詰まっていた。
時計を見なくても、次に何をするかは分かっている。
遅れないように動き、余計な寄り道はしない。
買い物は必要なものだけで済ませ、会話も要点だけにする。
一日が終わったとき、予定表は綺麗に消化されていた。
達成感はある。無駄はなかったはずだ。
それでも、何をしていた一日だったのかは、思い出せない。
空白は残らなかったが、余白もなかった。


暦の続き


壁のカレンダーが一月で終わっていることに気づいたのは、私の方だった。
このままでは困ると思い、去年のうちに言っておくべきだったのだ。
今年になってから、ようやく頼まれた。
百円ショップで買えば済む話だが、段取りというものがある。
先の予定がなければ、生活はすぐに歪む。
支払いも、用事も、季節の変わり目も、すべて遅れる。
私は、先に書かれた暦を信じて動いている。
書かれていない日は、不安になる。
一月で終わる暦をそのままにしておく気にはなれない。
今日も私は、続きを用意する。


どの暦を使っているかは、たいてい自分では気づかない。


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