
判決の日から数日が過ぎた。
朝、いつものようにコーヒーを淹れ、窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。
何も変わっていないようで、どこか違っている。
そんな感覚が、まだ胸の奥に残っている。
あの法廷で見た光景は、今も記憶の奥で静かに息づいている。
裁判員として過ごした日々は、たった数週間の出来事にすぎない。
けれど、その短い時間が、日常の「当たり前」にどれほどの意味を持っていたのかを教えてくれた。

沈黙のあとに残ったもの
裁判が終わると、すべてが静かになった。
メールも電話も、どこか現実に戻るための音のように聞こえる。
人と会っても、話題に出すことはできない。
守秘義務という枠の中で、自分の中だけに閉じ込めておく時間が続く。
けれど、その沈黙の中にこそ、確かな学びがあった。
人を裁くことの重さ。
そして、同じ人間として迷いながらも、真剣に向き合った日々の尊さ。
裁判所を後にして見た空
最終日、控え室で裁判官と裁判員たちが言葉少なに別れを交わしたあと、
外へ出ると、秋の空がひときわ高く広がっていた。
その青さが、まるで「おつかれさま」と囁くようだった。
通りを歩く人々の笑い声が、やけに懐かしく感じたのを覚えている。

日常へ戻るための静けさ
再び、いつもの日々が始まる。
仕事をして、食事をして、夜には空を見上げる。
特別なことは何もない。
けれど、その「何もない」ことが、こんなにも温かいものだとは思わなかった。
人を裁くという経験を通して、私は人の「生」を改めて見つめ直した。
それは決して重苦しい記憶ではなく、
静かな光となって、これからの日々を照らしていくような気がしている。
― そして今日も、日が昇る ―
朝の通勤路で見上げた空に、雲一つなかった。
どこかで誰かが、また新しい一日を始めている。
あの日の沈黙も、あの月の光も、
すべてはこの日常の中に溶けていく。
――塀の向こうにあったのは、特別な世界ではなかった。
ただ、人が人として生きようとする姿が、そこにもあったのだ。
(了)



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