映える猫と、山の静寂

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― 可愛いと責任のあいだで ―
指先で画面をなぞれば、猫がいる。
丸い瞳、やわらかな毛並み、少し不機嫌そうな顔。
SNSが広がったいま、猫はかつてないほど身近になった。
映える一枚は、ほんの数秒で遠くまで届く。
けれど、その数秒の向こうにある時間は、
十数年という長さを持っている。
バズるのは一瞬。
生きるのは一生。
その差を埋めるのは、誰だろう。
猫は、人間のように値踏みしない。
裏切るための計算もしない。
ただ、信頼すれば真っ直ぐに見つめてくる。
あの視線には、言い訳が通じない。
だからこそ、
「かわいい」だけでは足りないのだと思う。
夜中に鳴くこともある。
家具を傷つけることもある。
病気になり、年老い、やがて動かなくなる日が来る。
その全部を引き受ける覚悟があって、
ようやく飼い主になれる。
外に出さないという選択も、そのひとつだ。
過保護ではなく、境界線を守るための判断。
遠く離れた島、
ツシマヤマネコが生きる
対馬では、
家猫の室内飼育や不妊去勢が呼びかけられている。
感染症の問題。
餌資源の競合。
そして、交雑という静かな影響。
家猫が悪いのではない。
野生が弱いのでもない。
ただ、境界が曖昧になるとき、
どちらも傷つく。
家猫は増え、
野生の猫は減っている。
この事実を知ったうえで、
それでも私たちは猫を愛していると言えるだろうか。
たぶん、答えは単純ではない。
愛するということは、
近づくことだけではなく、
距離を守ることでもあるのかもしれない。
映える画面を閉じたあと、
山の暗がりで息を潜める一匹を、少しだけ想像する。
それだけで、
猫との向き合い方は、ほんの少し変わるのかもしれない。

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