― 補充裁判員席から見た最後の瞬間 ―

法廷内は、張りつめた静寂に包まれていた。
裁判長の声が響き、判決文が淡々と読み上げられていく。
その響きが、天井から壁、そして傍聴席へと吸い込まれていくのを感じた。
私は補充裁判員として、特別に設けられた席からその光景を見つめていた。
6人の裁判員と3人の裁判官が整然と並び、
わずかにうなずきながら、最後の瞬間を受け止めている。
そこには、言葉にできない緊張と、責任を果たす覚悟のようなものが漂っていた。
読み上げが終わると、法廷内には沈黙だけが残った。
誰も声を発さず、ただ椅子のきしむ音と衣擦れの音が、
現実へと戻るための合図のように響いた。
閉廷の声がかかり、私は傍聴席側の出入口から静かに退廷した。
外の空気は、どこか冷たく、それでいて清らかだった。
裁判員専用の控室の前で待機していると、
やがて正面扉から裁判官と裁判員たちが姿を現した。
彼らの表情には、達成感と静かな疲労、
そしてどこかほっとしたような柔らかさが見えた。
その凛々しい姿を見て、
「最後までやり遂げた人たち」という言葉が自然に浮かんだ。
控室に戻ると、短い挨拶が交わされ、
それぞれが静かに帰路へと向かっていった。
多くの言葉はなかった。
けれどその沈黙の中に、
「人を裁くことの重さ」と「人を想う気持ち」が、確かに存在していた気がした。

◆ 月明かりの下、日常へと戻る
外に出ると、夕空が群青に染まりはじめていた。
その夜は、確か中秋の名月だったと思う。
街のざわめきの奥で祭りの太鼓が遠く響き、
見上げた空には、ひときわ丸く明るい月が浮かんでいた。
私はそのまま夜勤へ向かうため、車に乗り込んだ。
ハンドルを握りながら、
フロントガラス越しに月を見上げた瞬間、
法廷の緊張と沈黙がふっとほどけていくのを感じた。
車のライトに照らされる道路は、どこか白く輝き、
月明かりがその上に薄く重なっていた。
まるであの法廷で過ごした時間が、
現実の中にも淡く続いているようだった。
あの夜の月は、今でも忘れられない。
すべてを静かに包み込み、
何も語らずに「これでよい」と告げるように照らしていた。
それが、私にとっての――
裁判員としての最後の夜の光だった。
📘 カテゴリ:塀の向こう側日誌
🏷️ タグ:#裁判員制度 #補充裁判員の記録 #法廷の余韻 #中秋の名月 #沈黙の夜



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