⚖️ 第10回 判決文を読む裁判長を傍聴席から見る

法と苦楽詩(ほうとくらし)

◆ 裁判員最後の日――判決宣告後の視点で見えたもの

裁判員としての任期最終日。法廷での判決宣告を終え、控え室で交わしたやり取りが、法廷の空気と裁判長の眼差しを改めて印象づけました。

先日、補充裁判員としての最後の日を迎えました。
傍聴席の指定席に座り、裁判官3名と裁判員6名が入廷する光景を見つめます。
木の床が軋む音、差し込む光、そして静寂の中で響く紙の音――。
普段とは違う角度から見る法廷は、緊張感と新鮮さに満ちていました。

正面から裁判官を見つめる位置に座った私は、不思議なことに被告人側の意識を強く感じました。
沈着な目線、書類をめくる手、そして抑制された声のトーン。
それらがまるで自分に向けられているようで、心臓の鼓動まで法廷の空気に同調していく感覚です。
普段は「裁く側」だった自分が、裁かれる側の心理を擬似体験している瞬間でした。


◆ 控え室での「流し目」事件

判決宣告後、控え室では裁判員同士で感想を述べ合う時間が設けられました。
私も、自分なりの考えを口にしました。
その瞬間、裁判長がチベットスナギツネのような冷たい流し目でこちらを見たのです。

「そんな目で見なくても…」

心の中で小さくツッコミを入れつつ、思わず

「私、そんなに面白くないこと言ったかな?」
とつぶやいてしまいました。

緊張感と滑稽さが同居する、不思議な空気。
法廷の厳粛さの裏にある“人間臭さ”を感じた瞬間でした。


◆ 裁判長からの“最後のコメント”

最後に裁判長がこう述べました。

「今日の法廷での結果は、家族や知人に話しても差し支えありません。」

この言葉を聞いたとき、少し肩の力が抜けました。
裁判員任期中はSNSなどでの発信が厳しく禁止されていますが、
任期終了後は過去の体験として語ることができるのです。

つまり、私が今こうして書いているこの記事も、
「任務終了後の一市民の記録」として許されるもの。
法廷の沈黙が、ようやく言葉として外に出る瞬間でもありました。


◆ 見える景色が変わると、意識も変わる

立ち位置を変えるだけで、
同じ法廷でも見える景色も、感じる空気もまったく違って見えます。
傍聴席から見る裁判長の姿は、まるで舞台の上の演者のようでありながら、
その一言一言に命が宿るような緊張感を放っていました。

最後の日の体験は、
「裁く側」と「裁かれる側」、その両方の心理を体感できた貴重な時間。
そして、裁判長の流し目とコメントは、
法廷という場の中にある“ユーモアと人間味”を象徴していました。


◆ まとめ:法廷の沈黙が言葉に変わる日

判決文を読む裁判長の声が静かに響く。
それは「終わり」ではなく、語る自由を与えられた瞬間でもありました。
この経験を通して、私はようやく気づきました。

裁くことも、裁かれることも、
どちらも「人間としての理解」を深める行為なのだと。

裁判員最後の日。
その静寂の中で感じた空気と、あの流し目の余韻は、
今でも胸の奥で小さく息づいています。


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裁判員として迎えた最後の日。判決宣告後の法廷、控え室での裁判長の言葉――。
裁く側と裁かれる側、両方の視点を体験した一日を、ユーモアを交えて振り返ります。


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